特集記事【株式会社 サンエイフーズ 韓 永紀】世界に投資していきたい。サンエイフーズ社長が見据える焼肉屋のその先

株式会社 サンエイフーズ 韓 永紀

プロフィール

株式会社サンエイフーズ  代表取締役  韓 永紀(はん えいき)

1970年生まれ 東京都出身

大学卒業後に宅配寿司を展開するものの、赤字に追われ10年もの格闘の末破産。再起を図るため有名焼肉店に弟子入りし、美味しい焼肉や経営についてのノウハウを学ぶ。現在は焼肉店6店舗、博多串焼き1店舗を展開し、積極的な店舗拡大に邁進している。

■企業HP

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焼き肉屋に生まれ、宅配寿司屋を興す

遊んでばかりの学生生活

ー元々はご実家が焼肉屋だったそうですね。

はい、両親が最初に開店したのは今から45年前、亀有にある焼肉屋でした。僕が小学三年生になる頃、つまり今から39年前には東小松川に移転したのですが、亀有のお店は僕の叔父さんが今も続けています。

平成元年には菊川に2店舗目を出して、とても忙しい毎日を両親が送っていたことは今でもよく覚えていますね。僕は三人兄弟の家で育ったんですが、男の子が家に3人もいると毎日喧嘩したり騒いだりで大変なんです。もちろん両親は毎回ゆっくりと僕らの相手をしている暇なんてないので、靴べらで全員叩かれて終わり、みたいな毎日でした(笑)でもだからといって愛情がないわけではなくて、忙しいからそうやってたしなめるしかなかったんです。

ー家の外ではどのように過ごされていたんでしょうか。

いたって普通の少年時代を過ごしていたような思い出があります。運動神経も悪くなかったのでスポーツも好きでやっていましたが、どちらかといえば一人でいることが好きだったかもしれません。

あと、小学5年生になる頃に麻雀を覚えて、中学くらいからはもうずっと麻雀漬けの生活を送ることになりましたね。暇さえあれば麻雀ということで、年に300日くらいは麻雀を打ってたんじゃないでしょうか。高校卒業後も一年浪人していたんですが、結局麻雀ばかりやっていたので大した大学にもいけませんでしたね(笑)。

ただ、麻雀もぼーっとやっていたわけではなくて、点数計算や相手の手の内を読むことを麻雀を通じて覚えることができたので、駆け引きの仕方はこの辺りから学べたのかなという気はしています。

景気が良かった宅配寿司

大学に入ってからも大して生活は変わりませんでした。麻雀を打ったり、親に車を買ってもらってドライブしたりと遊んでばかりの日々でしたね。それで大学4年になって進路を考えるようになり、最初は税理士になろうと思って簿記の勉強を始めようとしてたんですが、親にお前は商売をした方が良いと言われ、宅配寿司を始める運びになりました。

当時は宅配寿司がものすごく人気の時代で、チラシを放り込んでおけば後は勝手に電話がジャンジャンかかってきて、ひたすら寿司を握るだけで良いほどだったんです。3ヶ月ほど僕も当時人気だった宅配寿司屋に潜入して、そのことを身をもって知ることができたので、お金のことなどよく考えずに、親に言われるがままお金を銀行から借りて宅配寿司屋をスタートさせました。

すると案の定、オープンして間も無くひっきりなしに電話がかかってくるようになって、特に労することなく大きなお金が入ってくるようになったんです。

学生気分も抜けておらず、お金もたくさん入ってくるようになったので、店を閉めた後はそのまま夜遊びに出かけるという毎日でした。毎日を楽しく過ごしていたわけですが、この時僕は納税ということをよくわかっていなくて、いざ納めるぞとなった時に思っていた以上の額が必要になったことを知り、この辺りから雲行きが怪しくなってきたんです。

借金地獄からの破産。そして焼肉への回帰

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ー宅配寿司はどれくらい続けられていたのでしょうか。

だいたい10年くらいです。とにかく売り上げを大きくしていかないといけないと思って、店舗数も2店舗、3店舗と増やしていったのですが、3店舗目を出した時に3,000万円をハンコを押すだけで借りれるという国の政策があり、全く計画を立てずに出店したら大失敗をしてしまいました。
毎月100万の赤字を出すことも珍しくありませんでした。

そこからは泥沼で、いろいろな金融会社にお金を借りるようになっていって、1つ借金を返したらまた1つを繰り返す毎日でした。これが7年目くらいの時の話で、この時点でかなりギリギリの状態になっていました。

精神も病んでしまうほどで、毎日仕事に行きたくないという日々を過ごしていました。もういっそのこと逃げてしまおうかとも何度も思いましたが、その時すでに結婚していて子供もいたので、毎日働くしかありませんでした。

そんな時、破産という選択肢の存在を知り、知り合いの弁護士に相談してみることにしました。当時は破産という言葉のイメージは大層悪いものだったので、できる限りこの手は使いたくないなと思ったのですが、これ以上続けることも難しく、両親からも「もう終わりにしたら」と言われたこともあり、10年目でついに破産を選ぶことにしました。これが32か33くらいの時だったと思います。

それまでは毎日のように取り立ての人が来たり電話が来たりしていたので、ただただ頭を下げてもう少し待ってくださいを繰り返す日々でしたが、破産の手続きを済ませてからはそれがピタッと止み、少しだけ穏やかな日を取り戻すことができました。

破産したとはいえ、何もしないで毎日を過ごすということはできないので、焼肉屋はあまりやりたくないという思いがありましたが、今出来ることがそれしかなかったため、皿洗いから仕込み、オーダーまで何でもやっていました。そして、少しづつ焼肉屋に傾倒していったんです。

焼肉を通じて理解した「働くこと」の大切さ

焼肉を学び、経営を学ぶ

そうして実家の焼肉屋を手伝っていると、コンサル会社が開いているセミナーに参加する機会があり、そこで経営を少しづつ学んでいくようになりました。セミナーに通っていると、群馬県の方にある有名な和牛焼き肉の店でオーナーの会があるということで、そこに行ってみることにしたんです。

米沢亭というお店なんですが、この出会いが僕の中で大きなターニングポイントでした。
米沢亭の江原社長のおかげで今の自分があるので感謝してもしきれません。

米沢亭で食べた焼き肉の美味しさに驚きました。
和牛なので肉が美味しいのはもちろんなんですが、仕込みの仕方次第でここまで味が変わるものかということを知り、それ以来、米沢亭で和牛を美味しく仕込むノウハウや、うまい肉とは何かという本質的な部分から改めて学ばせて頂きました。

同時に、店を経営するとはどういうことなのかということも、研修会社のセミナーに通いながら学ぶようにしました。経営品質とは何か、そして経営理念の存在がいかに大事かということも、初めて知ったんです。

実家を継ぎ、日本一の焼肉屋を目指す

もちろん、教わったことは頭に入れているだけではダメなので、すぐに自分の仕事にも反映していくよう努めていきました。セミナーも1つだけではなくて、様々なところで行われているものにも顔を出すようにし、広く知識を吸収していくように動いていきました。

そうやって前向きに過ごしていると、やはり生活にも変化が出てきます。これまで汗水流して働くということをよく理解せず、なんでも人のせいにしていた僕が、必死になって働くことの大切さや楽しさを理解し、自己責任という言葉も飲み込めるようになっていきました。

身も心も大きな変化を遂げる中、15年前に菊川のお店をリニューアルオープンし、米沢亭という名前をお借りして店を開き直すことができました。オープン前にチラシを撒いたりしたこともあってか、オープン後は大変多くの人にお越しいただき、1年後には東小松川のお店もリニューアルオープンすることになりました。

そのあと、9年間ほどはその2店舗を切り盛りすることで経営を安定させていきました。これまでに積もり積もっていた負債もあるため、それを整理するための時間も必要だったんです。

ー現在の店舗数になったのはいつぐらいでしょうか。

新しい店舗をオープンするようになったのは5年くらい前からで、それ以来1年に1店舗づつ新しいお店を開いていっています。

負債の整理もひと段落したので、これからもこのペースで焼肉屋をオープンしていきたいという思いはありますね。今季のスローガンは揺るがない土台作りということで、軸がブレないよう努めてきましたが、いずれは日本一の焼肉屋になることを夢見ています。

「日本一の焼肉屋」の先に見るもの

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従業員満足への注目

ー日本一の焼肉屋に必要なことはなんでしょうか。

1つはやはり従業員満足度の向上にあると思います。CSよりESとはよく言われたものですが、顧客満足度を向上させるためにはまず従業員の満足度を上げていかなければいけません。

残業代を出すのはもちろん、そもそも残業が生まれないような取り組みは積極的に行っています。あとは週休二日も実現しないといけませんね。というよりはそうしないと人が集まらないような時代になっているので、飲食業とはいえ、こういった労働環境の改善は優先的に進めています。

あとはきちんと従業員を評価するシステムも整えています。定期的に表彰やグランプリなんかを行い、成果を出している人を積極的に評価するようにしていますし、定期的に社員全員に向けた個人面談も僕が行うようにしています。

社員だけでも40人ほどいるんですが、店のクオリティをあげようと思うとどうしても社員の存在が不可欠です。なので、一店舗あたり5人前後配置するようにして、顧客満足度の向上に努めています。

マニュアル部分も充実していて、店ごとにクオリティに差が生まれないよう取り組んでいることも顧客満足につながっていると思います。今は直営店舗だけですが、かなり体系化が進んでいるので、フランチャイズも十分に行えるレベルの設計が実現しています。

夢は世界平和

ー今後の展望について教えてください

とりあえずの目標は日本一の焼肉屋ですが、さらに大きな夢となると世界平和ですね(笑)。これは割と本気で今僕が考えていることなんですが、焼肉屋で日本一になったあとは、それを元手に投資家になって、世界の平和のためにつながるような事業にお金を出していきたいなと考えています。

宅配寿司の時に大きな失敗を経験して、もうあんなことにはなりたくないという思いから今日までやってきましたが、自分の幸せを追求するだけでは人間、すぐに限界がきてしまいます。両親が商売をやっていたことや、僕のルーツが韓国にあるということもあり、自分の身分を証明する上でもお金の大切さを身にしみながら生きてきました。

ソフトバンクの孫正義さんなんかもそうですが、絶対お金持ちになってるぞというだけではその先に行くことはできません。それであの人も様々な慈善事業にも投資をするようになっていったわけですが、今は僕も人の幸せを真剣に考えるようになってきたので、その姿勢を見習いたいとずっと思っています。

焼肉以外の事業としては、僕が開いている社長塾のセミナーや、他者から依頼されて行なっているコンサル事業と、すでに動き出していることもあります。特に社長塾では他者の幸せについても話すようにしていて、自分のため、人のために働き続け、そのためには健康でなければならないということを伝えるようにしています。

僕にとっては世界平和のための第一歩として焼肉屋があり、そのために日本一の焼肉屋にならないとという思いがあります。今は毎日がワクワクしていて、自分の自由の時間についても豊かに過ごすことができていますよ。

-本日はありがとうございました。

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