特集記事【ユナイテッド&コレクティブ 株式会社 坂井 英也】「てけてけ」を仕掛けた社長が語る、複数店舗運営の秘訣とは?

 

ユナイテッド&コレクティブ

プロフィール

代表取締役社長 坂井 英也(さかい ひでや)

1974年生まれ 福岡市出身

法政大学文学部哲学科在学時にテニス同行会の部長を経験。卒業後、スズキ株式会社へ入社。その後すぐに外食産業での起業を志し、個人店や大手居酒屋チェーンで経験を積み、20007月にユナイテッド&コレクティブ有限会社設立。同年9月に「魚・旬菜とお酒 心」をオープン。2002年株式会社に組織変更。20172月東証マザーズへの株式上場を果たす。

■企業HP
https://www.united-collective.co.jp/

たくさんの夢を持っていた学生時代

モラトリアムとして大学へ

-どんなお子さんだったのでしょうか。

将来の夢は「冒険家」からスタートして「テニスプレーヤー」を挟み、「弁護士」、「医者」など二転三転して定まらなかったですね。高校卒業間際には、両親に「大学には行かずに、ラーメン屋へ修行に行く」と言っていました。そんな私を見ていた父親に「モラトリアムとして大学へ進学したほうが良いのでは?」と言われ、それもそうだということで大学に進学しました。そこからの受験勉強で、現役合格とはいかずに一浪しましたけれど。浪人時代には今度は哲学に興味を持って、大学入学時には哲学者になりたいと思うようになっていました(笑)。

 

ビジネスマンだった父の教え

-初めから経営者になりたいというわけではなかったのですね。

物心ついた頃から「自分の持って生まれた能力を最大限に発揮した人生を送りたい」という思いはずっと持っていました。

製薬メーカーのサラリーマンだった父から、ずっと「俺みたいになるな」と言われて育ったんです。父は仕事を、大切な家族を育てるための、ある種の「自己犠牲」としてとらえていたようです。「家族を養うためだけの仕事はするな」「金のためだけの仕事はするな」と教えてくれていたのだと思います。色々な思いがあった中で、サラリーマン人生を全うし、家族を養ってくれた父には感謝しかありません。そしてそんな父の教えが、今の私の労働観を形作っています。

 

組織の面白さを知ったテニス同行会

同行会の活動からビジネスに興味を抱くように

父親の助言を受けて大学に入ったものの、1年で哲学者になりたいという想いはなくなっていました。哲学で世の中に良いインパクトを与えたい、と思っていましたが、時代はもっと実際的、実利的なものを力と認めているし、そのほうが世の中にインパクトを与えられる、と考えたからです。そこで次は何に注力しよう、と考えた時、まずは目の前の活動、既に入会していたテニス同好会の活動を徹底的にやってみよう、と思ったんです。

私が所属していた同好会は、100名程度の組織だったので、組織分業がなされていました。
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年次には部長を経験しましたが、適材を適所に配置し、全員の協力の元、一致団結して、目標の達成を目指す、という組織運営の醍醐味、楽しかったですね。テニスの勝ち負けもそうですが、それ以上に組織運営が面白かったです。同好会でこれだけ楽しいのだから、ビジネスなどの、公共性ある組織の運営に携われたらどれだけ楽しいだろう、私の人生もどれだけ充実するだろう、と思い始めました。

 

-なぜそこまで組織運営の楽しさに惹かれたのですか?

1人では絶対到達できないような高みに到達できるから、と言えるかもしれません。人間は長所もあれば短所もある、そんな不完全な生き物です。しかし、組織はそんな各自の短所があたかも無かったかのように、長所だけを束ねることができ、そして1人では絶対に成し得ない事が出来たりします。そこに大きな興味を持ちました。

 

自分の店を持つために就職、そして開業へ

ユナイテッド&コレクティブ 株式会社 坂井 英也

飲食への道を意識したきっかけは居酒屋でのアルバイト経験

-どのように飲食の道へとたどり着いたのでしょうか。

最初から飲食業の道に行こうとは考えていませんでした。時はベンチャーブームで、ソフトバンクの孫さんやHISの澤田さん、パソナの南部さんが賞賛されていた時代でした。私も「これからはネットの社会だ」「ITベンチャーだ」と思いPCを購入して学んでもみました。でも、すぐに飽きてしまって。そこで既存の事業をまずは学んでみようということで、色々なアルバイトをしてみることにしました。様々なアルバイトを経験しましたが、なかでも私の友人のお父さんが経営していた居酒屋での体験が大きなきっかけになりました。そのお店は門前仲町にあったのですが、友人はその店を継ぐという計画の下、キッチンで働いていました。
彼から新商品や賄いをいつも食べさせてもらっていたのですが、彼は本当に料理が上手で。なので自信満々でお客様におすすめできるんです。だから、お客様からどんどん注文いただけるし、さらにはお客様に「ありがとう!」「おいしかったよ!」と言っていただける。これは面白いなと。当時から飲食業は業界としていくつかの問題点を指摘されてもいました。しかし、それならば自分が変えていこう、という想いを持って、飲食業にチャレンジすることにしました。

 

大手企業への就職を経て修行、開業へ

飲食業は、当時のIT業界とは違い、業界として確立されている世界でしたから、まずは運営方法を学んでからチャレンジしたほうがいいと思いました。でも、それまでも色々と将来の夢が変わってきた自分なので(笑)、最後のモラトリアムとして、就職活動では自分の興味の赴くままに活動しました。就職して、それでも飲食に興味があったら、その時点で飲食の世界に飛び込もうと。大企業の組織運営を直に見てみたいという思いもあり、就職活動の結果、ご縁をいただいた企業、自動車メーカーのスズキに入社しました。スズキでは浜松本社で新入社員研修を3カ月受けた後、大阪の法人営業の部署に配属され、リース会社への営業に取り組みました。しかしやはり、「一生の仕事として」飲食に関わりたい、という想いが強まり、入社したその年の12月に退職しました。

 

-ご両親の反応はいかがでしたか?

起業したいということは両親にはずっと言っていたので「少し早いと思ったが、まあそんなものだろう」という反応でした。そこから起業して会社が軌道に乗るまで、両親には数多くのサポートを受けました。両親には感謝してもしきれません。

 

-開業されるまではどう過ごしていたのですか?

開業した後に職人に逃げられても自分で料理ができるようになっておきたい、という考えから、キッチンでの修行を決意。学生時代にアルバイトしていた友人の居酒屋に戻り、修行を始めました。半年後、今度は大手居酒屋チェーンでアルバイトを経験し、最後の1年は鮮魚が売りのお店で魚のさばき方や調理を幅広く学ばせていただきました。そして、2000727日に法人設立、同年9月に1号店をオープンさせました。

 

1号店はどんな店づくりをされたのですか?

1号店をオープンするときは、新規性の高い、アクロバティックなことはやらないということを心がけました。リスクの高い店づくり、業態づくりはお金を失うだけに終わる可能性があるからです。そのため、ある程度当時のヒットコンセプトを反映させるとともに、最悪、自分の人生が1店舗の居酒屋のおやじで終わったとしても納得できる「自分のやりがいも感じられるお店にする」ということも考えていました。

当時、モダンな内装で和食を提供する、客単価4000円程度のお店が流行り始めていました。そこで、競合しそうなお店が少なかった高田馬場に物件を決め、そのような業態のお店をオープンさせました。

 

成功、失敗を味わった3年間

1年に1店舗ペースで2号店、3号店をオープン

-開業当時の様子を教えてください。

1店舗目はすぐに軌道に乗りました。
9月にオープンして10月から利益を出すことに成功しました。初めから店舗展開しようという計画があったため、1店舗目のオープンから約1年後に同じ屋号で2号店を神楽坂にオープンさせました。今思えば相当アグレッシブだったと思いますね。創業間もないのにここまでハイペースで店舗展開することは、普通はおすすめしないです。当時はキャッシュフローも把握していなかったので、まあいわゆるどんぶり勘定です(笑)。ただ、神楽坂の店舗は当時、月40万円という破格の家賃で1,000万円程度の売上を出していました。利益も相当だったと思います。どんぶり勘定ですが(笑)。そして、2号店のオープンから1年後、3号店をオープンさせたのですが、ここでうまくいかなくなりました。それまでは職人の技術ありきで営業しており、マニュアルがありませんでした。3店舗目を出した時に一気にオペレーション力が低下して、売上も低下していきました。そんな中で社内の空気も悪くなり、大量の退職者が出て、そして一気に資金が枯渇していきました。

会社を潰したくない一心で、人の3倍、4倍働きました。当時の顧問税理士は、いつ潰れるのだろう、と思って見ていたと、後に述懐していました(笑)。資金が無くなる時って一瞬です。4店舗目開業のために貯めてあった500万が一瞬で無くなりました。当時の私にとって金目の物は、開業後、やっとの思いで手に入れた中古のバイクしかなかったので、それを売ったりしながらなんとかやり繰りしました。

 

「てけてけ」の誕生と株式上場

ユナイテッド&コレクティブ 株式会社 坂井 英也

発想の転換で生まれた「てけてけ」

-2005年、「てけてけ」のオープンをきっかけに一気に勢いに乗るわけですが、その理由は何だったのでしょうか?

倒産の危機を経験したことで、経営者として「店舗展開で何が必要なのか」を学べたことが大きかったと思います。しっかりとしたマニュアルを用意しなければならないことや、客単価はボリュームゾーンまで落とさないとスピード感ある店舗展開はできない、ということを知ることができました。そうして生まれたのが「てけてけ」でした。
また、キャッシュフローの考え方を学べた事も大きかったと思います。なぜ潰れそうになったのか、それはキャッシュポジションが低かったからです。これは流動比率をケアしなくてはならない、ということなんですが、流動比率を高めに、理想を言えば約1.5倍(150%)に維持しておくこと。これが店を潰さない秘訣です。倒産の危機でこのようなキャッシュフローマネジメントを学べたことも企業運営において大きかったと思います。

 

店舗展開を考える企業へのアドバイス

-いつ頃から上場を目指していたのでしょうか?

「いつか上場する」ということは、創業当初から周りに公言していましたが、明確に意識し始めたのは2009年頃からですね。それまでは、まずは店舗を増やし、売上を増やしていくことに注力していました。

 

-今後、店舗展開を考える企業へのアドバイスはあるでしょうか?

当社は、倒産の危機はありましたが、その後は順調に店数を増やし、今のステータスに到達していますが、今の時代に、当時の我々と同じように、0スタートで飲食店舗を急速に増やしていく、というのは時代が違うので少し難しいのかな、というのが率直な意見です。REIT(不動産投資信託)の不動産物件も増えていますし、賃料が高止まりする可能性も高いでしょう。原材料や人材採用コストもここまで上がっている状況のなか、飲食業界で勝負を仕掛けていくのは、よほどのことではないでしょうか。

昨今どの業界でも見られますが、大企業と小企業との二極化という流れがあります。当社も過去を振り返ってみると、運営店舗数が8店舗~12店舗程度の頃がもっとも利益率が高かったです。企業規模が大きくなればなるほど、様々なコストがかかるようになります。大企業になってしまえばそれらコストも吸収できますが、中途半端な規模が一番よろしくありません。当社は運営店舗数が8店舗程度の頃は、営業も財務も人事も店舗開発も全て私1人で管理していました。非常に効率が高い。さらにそれくらいの店舗数であれば、経営者の意向や個性がお店に反映されやすいですし、店舗展開を志される多くの方にお勧めできる規模感なのかなと思います。

 

大切にしていることと今後の展望

口に入れた瞬間においしいと感じるものを届けるために

-経営者として、大切にしていることを教えてください。

シンプルですが、お客様が我々の料理を口に入れた時に「おいしい!」と言っていただきたいんです。そのためにどうするべきかということを常に考えています。スタッフの労働時間を適切に管理しなくてはいけない中で、本当に難しいことではありますが、そのために様々な努力をしています。

 

-従業員満足度を高めるために取り組んでいることはありますか?

つい数カ月前まで、新卒も中途も全て私が一次面接を行っていました。これは我々のカラーに合うのか、入口で見極めたいという考えからです。カラーの合う同志が働くということも、無用なストレスを最小限にでき、従業員満足度にもつながると思います。また、今年は1日全店休業にして、従業員とそのご家族を招いてBBQ大会を行いました。皆さんの笑顔が本当に印象的でした。快適な労働環境の維持向上にも力を入れており、最近はモチベーションの状況把握のため、専用のアプリなども導入しました。

 

200店舗を目指して

-今後の展望を教えてください。

直営、フランチャイズ含め、早急に200店舗体制とすることが当面の目標です。まずは「てけてけ」のフランチャイズ展開をスピードアップさせています。また、業態として仕上がりを見せている「the 3rd Burger」もフランチャイズ募集をスタートさせていますし、今年スタートした新業態2つも面白くなってきています。ともに郊外駅近を出店立地としている、居酒屋業態「やるじゃない!」と定食屋業態の「大衆食堂あづま」です。どちらの業態も直営、フランチャイズ両建てで出店を加速させていきます。そしてさらに海外です。アメリカに近日中に進出1号店をオープンさせたいです。アメリカ展開に私自身もコミットすべく、ちょうどビザを取得したところです。とにかく弊社の今後の展開にご期待ください。

 

-本日はありがとうございました。

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