特集記事【株式会社和音人 狩野 高光】社員の夢を叶える店を作る 第五世代のエースが語る大きな野望

株式会社和音人 代表取締役 狩野 高光

プロフィール

株式会社和音人 代表取締役社長 狩野 高光

1987年生まれ 東京都出身

2015年6月、28歳のとき三軒茶屋に「和音人 月山」を開業。ドミナント展開を行い、現在では茶屋に飲食店を6店舗、酒屋兼物販を1店舗経営。山形県で農業も行っている。
店舗経営だけでなく、講演会や若手経営者の勉強会などを積極的に行い、第五世代のエースと呼ばれている。

■企業HP

https://winebito.co.jp

アルバイトで培った数々の経験

小学生でお金を稼ぐ方法を模索する

-どのような少年時代を過ごされましたか?

私が育った家庭は、決して裕福ではありませんでした。そのため、小学生の時から苦労することが多く、商売のことやお金をどうやったら生み出せるのかということを模索していましたね。

中学生になってからはアルバイトを始めます。居酒屋で働いたりお祭りの屋台で手伝いをしたり毎日生きていくことに必死でした。結構タフな環境で育ちましたが、両親や人を恨んだりすることは無かったです。

お金の面で苦労しましたが、友達の家でご飯を食べさせてもらったり、逆に私の親が私の友達も一緒に面倒を見てくれたりと、たくさんの大人や信頼できる仲間からの愛情はしっかり感じ育ちました。そのおかげで、グレずにギリギリのラインを保てていたのでしょうね。

 

-中学校卒業後は何をされていたのですか?

中学を卒業してから本格的に働き始めます。最初は、近所にある焼き鳥屋さんと喫茶店のアルバイトを掛け持ちしていました。当時の時給は880~900円くらいでしたが、かなりタイトなスケジュールで働いていたので、1か月で30万円くらい稼いでいましたよ。この時に「お金を稼ぐのは本当に大変なんだなぁ。」と実感したものです。

ですが、お客さんに「ありがとう」と言ってもらえたりいろいろなことを教えてもらったりして、これが飲食店の醍醐味だと感じましたね。

中卒の自分を快く働かせてくれた、この2つのお店には感謝しかないです。

 

女性の“聞く”能力に感動する

-他にもアルバイトをされていましたか?

18歳の時に、地元のパン屋さんが店舗を増やすということで、オープニングスタッフとして誘われて働くことになります。

早朝4時出勤の日もあり、かなりハードでした。しかも、女性ばかりの職場だったので反感をかうこともありかなり悩みました。

私の方が立場は上だけど、他の従業員は年上の女性ばかりです。こういう伝え方をしなくてはいけないんだなぁとか、女性の体調の変化に気づいてあげなきゃいけないんだなとかいろいろと学びました。それによって従業員のモチベーションも変わってきますから。

また、同時に女性の能力の高さに驚きました。女性は男性と比べて“聞き取る”能力が高いですよね。また、一度決意を固めるとそれを突き通す強さがあります。意外と男性の方が心が折れやすかったりしませんか?

 

-女性に対する接し方のアドバイスはありますか?

私は先に「尊敬しています。」と伝えます。今も私の会社の中心は女性なので、どれだけ女性が輝ける会社にするかということはミッションのひとつですね。

女性への接し方のテクニックというか、それを信念としてやっています。

 

負けん気の強さが超実力主義の会社で活かされる

-パン屋を退職してからは株式会社グローバルダイニングで働かれたのですよね。

はい。代官山にある“カフェ ラ・ボエム”にアルバイトとして入社します。

ここで初めてPOSレジを目にしました。全部英語で書かれていて、もう何が何だか分かりませんでしたよ。今でもはっきりと覚えているのですが、初日に「レジも打てないならもう明日から来なくていい!」と言われてしまいました。それは絶対に嫌だったので、私は朝5時に仕事が終わった後に店に残って、何時間もレジ打ちの練習をしました。おかげで、2日目には完璧にレジ打ちができるようになりましたよ。他にも、「バーにステアができないやつはいらない」と言われればずっと居残りをして練習をしたり…その甲斐あって1ヶ月後には、時給が400円も上がりました。

グローバルダイニングは超実力主義なので、できる人は評価してもらえます。結果、私はディナータイムとバータイムのバイトリーダーを兼任することになります。

私は当時「誰かに褒められたい、認められたい」という承認欲求が人一倍強かったので、すごいスピードでそれを満たしてくれるグローバルダイニングでは、とても楽しく働けたのでしょうね。結果を残すうちに引き抜きの話も各所から貰いましたよ。

 

-社内で引き抜きがあるのですか?

そうですね。スタッフは自分の店が結果を残したいと思って働いているので、いいスタッフは引き抜きの話があります。

私も、エリアマネージャーから声がかかって同じく代官山にある“タブローズラウンジ”に移動することになりました。

そこで、今でもサービスマンとして最も尊敬している“アントニオさん”という方と出会うことになります。アントニオさんはお客様との信頼関係がしっかりと構築されていて、これだけ信頼して全てを任してくれる関係を作らないとサービスマンとはいえないんだろうなと感じました。

 

恩師と出会いが独立の土台を作る

株式会社和音人 代表取締役 狩野 高光 2

-狩野社長に合っていたグローバルダイニングを退社したのはなぜですか?

ゆくゆくは自分のお店を持ちたいと思っていたので、このままこのお店に勤めていたら出店は無理だなと思っていました。内装だけでも何億円もかかっているようなお店だったので、リアルではありませんでした。もう少しベンチャーを勉強しようと思ったのです。

そこで、独立の勉強をするために株式会社エルアンドエスに入社しました。ここで恩師と呼べる山田社長と出会うことになります。

 

培った経験を活かし出世街道を突き抜ける

-エルアンドエスではどのような経験をつみましたか?

入社してすぐに、ある店舗の店長を任されます。この店はずっと赤字続きで、しかもスタッフは、入社したての私とあとはアルバイト。周りからは最弱の店と呼ばれていました。ですが、私が店長になって1か月後には史上最高の売り上げを叩き出すことができました。

これをきっかけに私の出世街道が始まります。最終的に社長の右腕として、新規出店の立ち上げなども経験しました。

23歳でアルバイトとして入社し、24歳で正社員になり、27歳で退社するまで、それこそ人生の全てをかけて働いていました。

また、25歳でソムリエの資格を取るなど、たくさん勉強もしました。もう飲食業界で生きていくと決めていて、絶対に失敗はできないと思っていたのでここまで自分を追い込めたのでしょうね。

 

-初めて店長を任された店でなぜそれほど売り上げを伸ばせたのだと思いますか?

最初にしたのは、仲間たちの意見をしっかりと聞くことです。「こんなお店にしたい」「こんなものを作りたい」ということですね。それを元にリーダーである私がひとつの形にまとめました。スタッフの意見を聞くというのは、パン屋時代に培ったものが活かされたのだと思います。

また、アルバイトの子たちが本当に頑張ってくれたおかげです。私は広く浅くという人付き合いはしないのですが、この時のスタッフとは今でも会っていますよ。

 

更に経験を積む。そして独立へ

-独立に向けてどのようなことをしましたか?

ベンチャー企業で経験を培ったので、次は独立をするまでアーリーステージに身を投じようと思いました。

その時に働いたのが、“株式会社コメール”と“東京レストランツファクトリー”です。アルバイトの面接では「独立の勉強をするために入社するのでいつ辞めるか分からないです。」と伝えたのですが、2社とも快く受けてもらい懐の深さを感じました。

独立のための勉強がしたいという僕の希望に沿ってくれ、数多くの系列店に入り勤務させてもらいました。

この時に仕事をしながら、物件探しも同時に進行しています。

 

惚れた物件は諦めない!

-物件探しに苦労されたそうですね。

はい。結局1年半かかりました。気に入った場所が無かったというよりも、借りたいと思っても27歳のポッと出の男に物件を貸す大家さんはおらず、書類審査の段階でかなり落とされたのが原因です。本来は個人事業主でやりたかったのですが、あまりに物件を借りられないので法人にしました。

それでもなかなか借りられず、一目惚れした物件も書類審査で落とされました。ですが、裏路地にある古民家の一軒家という私の理想そのものの物件で、かなり頼み込んで面接をしてもらえることになります。そこでも熱意を伝えたのですが、結果は不可。 しかしどうしても諦めきれず、最後はダメ元で手紙を書きました。それでなんとか想いが通じて貸してもらえることになったのです。

独立するにあたって自己資金は450万円、日本政策金融金庫から1400万円の融資を受けられました。通常融資を受けられるのは自己資金の倍額程度ですが、 綿密に立てた事業計画書が功を奏したのだと思います。

この、物件を断られ続けた一年半という時間があったおかげで、家賃の相場を知ったり詳しい事業計画書を作成できたりしたので、決して無駄な時間ではなかったと感じています。

 

成熟された街三軒茶屋の魅力

-なぜ三軒茶屋にドミナント方式で展開されたのですか?

私が、アルバイトで勤務していた地域は街としての成熟度の低さがあるなと感じていました。お客様の客層はコロコロ変わりますし急に大手チェーンが参入したりして街の雰囲気がガラリと変わります。

一方三軒茶屋は、地主さんの力が強くその土地の雰囲気を守っていける成熟度の高さを感じました。私も三軒茶屋にとって本当に必要な業態をひとつひとつ作っていけたらと考えています。

 

社員の夢を叶えるために出店をする

-一号店はスムーズに軌道に乗ったのですか?

会社の理念は「社員の夢が叶う会社」です。

第一号店は、山形県の180人ほどが暮らす大井沢地区出身の社員の夢を叶えるために作ったお店です。彼の父は村おこしの中心人物で、彼自身もそれに貢献したいと考えていました。そこで、お店の名前は山形県にある山の名前をとり「月山(がっさん)」とし、山形県の郷土料理を提供しています。

最初はとても苦労しましたよ。仲間はたくさん足を運んでくれたのですが、一見さんがなかなか確保できません。

元々山形県の郷土料理だけでは絶対に流行らないと思っていました。私は焼き鳥に自信があったので、それを間口として持っていて、それを目当てに入ってきたお客様に山形県の郷土料理や日本酒を食べて頂くという形をとりました。

また山形県のいろいろな酒屋さんと契約をして48酒蔵の日本酒を揃えています。結果的にこれがとてもうまくいき、「日本酒女子が集まるお店」というテーマでテレビの取材が入り、それをきっかけに一気に客足が増え軌道に乗りました。

やはり、テレビの影響ってすごいですね。

夢見ていた場所での出店が突如決まる

-一号店出店から二号店出店までかなり短いスパンですね。

二号店の出店は、月山に来ていた地場の不動産屋さんに声をかけて頂いたのがきっかけです。その方が40年間経営していたお店が閉まるということで「君達みたいな若い人たちにお店をやってもらいたい」と言われました。その場所が、いつかお店を出したいと思っていた三軒茶屋の三角地帯だったのです。この話を頂いたのが、一号店をオープンさせて2ヶ月後のことだったので、資金繰りもギリギリだし、右も左も分からない状態だったのでかなり悩みました。ただ「ここで決められなかったらどちらにしても小物で終わってしまう」と感じ、かなり賭けでしたがすぐに準備を始めて二号店を出すことにしました。

-2号店はどのようなお店にしたのですか?

二号店は、餃子をメインにしたお店にしました。ですが三軒茶屋には老舗の餃子店があります。私は、伝統的でクラシックなお店には敵わないと思うのです。だから、私の戦い方としてはちょっと違う山の頂上に立つというやり方です。

まず肉の割合を増やし赤ワインソースやレモンオイルなどの自家製ソースを合わせる事でワインと合う餃子に仕上げました。
今では、グルメの著名人の方々の来店も増えてます。

誰にも思い浮かばない一皿を提供する

株式会社和音人 代表取締役 狩野 高光 3

 

-顧客満足度を上げるためにしていることはありますか?

私が大切にしているのは、オリジナルの商品を出すということです。どこかのお店のメニューにインスパイアを受けるのは悪いことではありませんが、そのまま真似をしたようなメニューを出すお店もありますよね。

そうではなく私は、誰も思い浮かばないようなものを作るようにしたいと一号店の時から考えています。

例えば月山では、ぶどうの枝木で燻製した焼き鳥を提供しています。フランスの農家さんは、ぶどうの木を剪定した時に出た枝木を燃やして牛肉を焼くそうで、これはそこからヒントを得て作ったメニューです。

また、ドリンクとフードのマリアージュのイベントを四半期に1度行っています。具体的には、スタッフが作る料理合わせたワインを私が選定するというものです。主に常連さんを対象に告知していますが、これをどれだけ地場に落とし込めるかというのも大切にしています。

 

-メニュー開発をする際にこだわっていることはありますか?

添加物が入っている調味料は使いませんし、油もオメガ3が豊富な大豆油を使用しています。その分賞味期限も早く、調味料だけでも、普通の店の3~4倍はコストがかかっているでしょう。また、素材も圧倒的に品質の良い食材を使っています。

 

-従業員教育のためにしていることはありますか?

社内にアカデミーを持っているので、月に1~2回従業員を対象にした講習会を行っています。前回はイタリアンの四谷シェフを招いて、料理をまた違う観点で教えてもらいました。

社員が講師となって自分の専門分野の授業をすることもあります。私だったらワインや調味料の授業をする、といったぐあいです。

また、接客のマニュアルはありますが、それを遵守しろとは言っていません。マニュアルでガチガチの接客は人としての魅力を落としてしまうからです。もちろん基礎やお客様を不快にさせない所作などは最低限必要ですが、自分の人間味というか、そういうのは大切にしてほしいと思います。

 

若手経営者が勉強できる環境を作る

-これからの目標をお聞かせください。

三軒茶屋の中で老舗になり、私達が経営するお店が三軒茶屋に人が来る理由になればいいと思っています。やはり、三軒茶屋にとって必要な企業になることが大切ですし、三軒茶屋を代表する企業になりたいです。

また、将来的にワイナリーをしたいと考えています。現在大井沢地区でワイン用のブドウを3種類栽培していて、基本的に地元の農家さんや月山の立ち上げメンバーの父に管理を任せていますが、私も月に1度は必ず足を運びます。片道6~7時間かかるのでなかなか大変ですが、どれだけ忙しくてもこれだけは欠かしたことがありません。

また、講演活動にかなり力を入れています。

私が代表幹事を務める『外食5G』では、若い経営者を集めて、いろいろな産業の社長さんを呼び勉強会をし、日本食文化100年研究会では、今後100年輝けるような会社の社長さんの講演会をしています。

過去の成功事例よりも、これからどう時代対応していくかということの方が気になりませんか?やはり若い経営者が勉強をしないと外食業界の底上げにならないので、若い人間が最先端の勉強ができる環境を作りたいです。そして、3年以内に政治家を出したいと考えています。それぐらいやらないと、軽減税率もそうですけど、私たちにとって不利な法律が決まっていくので。外食業界を代表するような人間を輩出し、素晴らしい第三次産業をしっかりと作っていきたいと思います。

 

-本日はありがとうございました。

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