特集記事【株式会社goonies 鈴木 正史】goonies代表取締役に聞く、多店舗運営の難しさ。

株式会社goonies 代表取締役社長 鈴木 正史

プロフィール

株式会社goonies 代表取締役社長 鈴木 正史(すずき まさし)

1973年生まれ 神奈川県出身

繊維メーカー、アパレル会社勤務を経て、飲食業界に参入。2011年に赤羽でワインバル『グッドミート☆バル』をオープン。現在は渋谷PARCO店・横浜店を含む3店舗の経営に力を入れている。

■企業HP

http://www.goonies.co.jp

落ち着ける職を探し続けた20

新しい仕事への誘惑

ー飲食業には昔からの憧れがあったのでしょうか。

いえ、まさか自分が飲食経営に携わっているなんて、昔は思いもしませんでした。少年時代はいわゆる運動ができて勉強ができない典型的なスポーツ少年で、野球に打ち込むばかりで学校の授業なんかはかなりおろそかにしていました。

そんな僕でも一応高校には進学したものの、授業に出ることはほとんどなく、学校へ行かずに友達と遊んでばかりの生活でした。

一応高校は卒業できることになったんですが、特に進路について考えたこともなくて、働きたいときに働けばいいやという感じのフリーターをしばらくは続けていました。

ただ、それを見かねた母親に無理やり連れていかれるような形で、高校卒業から1年ほどで姉の旦那が店長を務めるアパレルショップの店長をやることになります。もともとアパレルには興味があって、洋服は個人的に好きだったこともあり、いざ始めてみるとそこそこ続きました。

結局そこのショップには2~3年ほどお世話になったのですが、今度はちゃんと正社員になりたいなという欲求が湧いてくるようになりました。いわゆる就職活動というものを始めたのですが、ここで衣料品メーカーの営業職に採用が決まります。

その会社には3年ほど勤めていたのですが、ある時から飽き始めてしまいました。

それでまた新しいことを始めたいなと思って転職活動を始めたのですが、今度は別の繊維メーカーの営業職を見つけることができ、移ることにしました。

しかしこれが失敗!仕事は楽しくないし月給も安いしで、とてもじゃないがこの仕事で食っていきたいと思えるような環境ではありませんでした。それで今度はそのメーカーとダブルジョブをしてみようということで、銀座のクラブのボーイとして夜は働くことにしました。

結局はどちらも2年も続かず・・(笑)。

 

飲食業との出会い

その後も知り合いづてでアパレルメーカーに入社したのですが、ここもかなり上司が厳しい会社で、それでいて月給が安かったこともあり、いよいよ生活も厳しくなっていってしまいました。

辞めようかどうか悩んでいたところ、ある日幼馴染から自分が務めているレストランに遊びにきてくれと言われたのです。

それでそのレストランに行ってみたのですが、僕の目にはとにかく働いている人たちがキラキラしているように映りました。

そこでそのまま飲食の道に入ることを選び、修行の日々が始まりました。

 

ーアパレルから飲食への転向は、かなり勇気が必要だったんじゃないでしょうか。

あまり飛び込んでいく意識はなかったのですが、とにかく最初は右も左も分からない状態だったもので、毎日怒られっぱなしの生活でした。

2627歳の時にいきなりアパレルの人間が飲食業に移ってきても、一から仕事を覚えないといけないし、食の知識についてもからっきしだったので、とても苦労しましたね。しばしば試食会が社内で開かれることもあるのですが、僕が試食しても「美味しい」か「まずい」かしか言えないもので、その度に説教されていました。

でも仕事が楽しかったのもあって、すぐにやめてしまうということはありませんでした。それで何年も働いているとスキルも身につく上に、会社からも評価してもらえるようになるので、2年ぐらいの期間を経て店長のポストに就くことができたんです。

 

創業で得た学びの数々

株式会社goonies 代表取締役社長 鈴木 正史2

僕が会社をやめなかったのは、社内で友達や仲間と言える人と親しくしていて、仕事のことなんかも気軽に相談できていたことが大きかったと思います。

しかし店長に就いて僕の年齢も30になった頃、仲間内で起業してみないかという話になりました。これは何か特別なビジョンがあったという話ではなくて、男は30が切り替えどきという話もあったもので、半ば勢いで新しくレストランを立ち上げようという話になったんです。

 

困難を伴った共同創業

ただ、これが前途多難の幕開けでした。仲間の一人が南青山の方に物件を見つけたのですが、相談なしに勝手に契約をしてしまって、ろくに下見もせずにそこで新しくレストランをすることになったのです。

家賃も高いし店にお客さんは来ないしでかなり苦しく、レストランだけでは生活もできなかったので、みんなレストラン以外にも出稼ぎ先を持っていました。

肝心の南青山のレストランは半分遊びのような感覚になっていました。

何とか家賃が払える状態が続いていたところ、どうにかして挽回しようと苦肉の策で新宿にダーツバーをオープンしたのですが、これも失敗でした。南青山と同様、仲間の一人が独断で契約、オープンまでこぎつけてしまい、結局南青山のお店同様、鳴かず飛ばずで月日が流れていきました。

結果的に経営が立ち行かなくなり、全く働く先が失われてしまったために、これからどうしようかという感じでした。

結局、和食屋や居酒屋といった飲食業界内を転々としつつ、料理を学び直すことにしました。

 

ー飲食業界から離れようと思ったことはないんですか?

飲食から離れる発想はなかったですね。アパレルに戻りたいといった気持ちも湧いてくることはなくて、もう自分には飲食しかないなという思いが勝っていました。

食材と向き合う料理人の仕事は向いていると思うし、お客様に美味しいと喜んでもらえるのは何物にも代えがたい喜びがありました。

案の定、自分にとっては新天地である日本料理の場で一から働くとなると、また厳しく指導される日々が続くわけですが、もともと素直に人の話をよく聞くことや、自分にはこの仕事しかないという覚悟もあって、しっかりと会社が評価してくれるぐらいには能力を伸ばしていくことができました。

その甲斐もあって、最終的には料理長クラスまでたどり着くことができていましたね。

 

先見の明があったワインバルの立ち上げ

当時の仕事も落ち着いていた2011年、震災があったことは記憶に新しいのですが、同年に新しい自分のお店をオープンすることになります。

あれだけ大規模な震災が起きると、いろんな業界の景気に大きな影響を与えるわけですが、僕の知り合いの肉屋もその例外ではありませんでした。ちょうど僕がお店の立ち上げパートナーを探していることもあって、そのお肉屋さんと共同出資という形で店を始めていくことになりました。

その頃、赤羽にちょうど良い物件を見つけたのです。赤羽は当時まだそこまで飲食にバリエーションのある立地ではなく、同じような店が並んでいる場所でした。

それで共同で店を立ち上げることになったお肉屋さんから、原価でお肉を仕入れられるということになり、肉バルのようなお店をやろうという話になりました。肉バルとなると普通の居酒屋とは違って、洋食っぽくてワインも飲めるようなお店になるんですが、実は赤羽にはワインが飲めるお店というのはほとんどなかったんです。

他に競合がいないなら当たるんじゃないかと思って始めた肉バルでしたが、案の定これが大ヒットします。日に日にお客さんは増えていって、いつも列をなしているくらいに繁盛して、売り上げは右肩上がりを続けていました。

もはやバブル状態が続いたわけなんですが、そんな時、僕の店の上の階の物件が空いたということで、そっちにも店を作ろうという話になりました。単純にお客さんを外で待たせてしまっているのは勿体無いなという発想だったんですが、せっかくやるなら一階はスパニッシュ、二階はフレンチという風に、少し業態を変えて営業してみることにしたのです。

これも案の定をお客さんに喜んでもらえることになり、2013年には法人化するくらいには業績も良好となっていました。

 

地域密着に特化した店作りの方法

特別感を楽しんでもらえるお店に

ー赤羽には珍しいワイン業態ということでしたが、それ以外にも顧客満足を高める施策は行なっていたのでしょうか。

うちのお店は赤羽という立地もあって、地域密着型のレストランであることを意識した店作りをしています。大きいのはリピーターの方、つまり常連の方に気に入ってもらい、いつも楽しい時間を過ごしてもらうため、飽きないようなサービスを提供することに力を入れていますね。

例えば誕生日のお祝いをしっかりとお届けしたり、新メニューの味見をしてもらって、意見をすぐに反映してみたりだとか、あるいは食べたいメニューのリクエストにもすぐに応えるなど、つながりを大切にするサービスを提供してきました。

商業施設に入っているお店などではあまり通用しないのかもしれませんが、これも赤羽に店舗を構えているからこそできるサービスの強みだとは思っています。

 

良い従業員の見つけ方

ー横浜の店舗も社長自ら運営に当たっているのでしょうか。

いえ、現在は僕ではなく現場の人間が主軸となって運営してくれています。
横浜の店舗は当初想定していたより客足が伸びず、不安な時期もあったのですが、頑張ってくれていたスタッフの一人に、そのまま任せてみたところ、売り上げがどんどん伸びていったのです。まさに適材適所でしたね。

 

ーそういった人材はどうやって発掘するのでしょうか。

これと言って、特別な育成プログラムを用意しているわけではありません。ただ、やる気のある人には活躍の機会をひたすらに与えてみるということには積極的に取り組んでいます。

優秀な人というのは基本的に仕事というよりもむしろ機会を与えることで成長したり、その才能を伸ばしていくことができる人がほとんどなので、教育というよりも機会の提供を僕は重視するようにしています。と偉そうに言ってみましたが「ひと」の育成に関しては、一番難しいと感じていますし、悩みが尽きません(笑)なにか問題が生じたら、とにかく一つ一つ誠実に対処・対応していくこと。

この9年を振り返ってみると失敗ばかりで、めちゃめちゃ勉強になりました(笑)

もちろん、せっかく育った人材が外へ流出していってしまわないよう、待遇の改善も積極的に行います。昇給システムの整備は喫緊の課題ですし、やみくもに働くのではなく、効率よくリソースを分配して、店の収益改善はもちろんのこと、スタッフ一人一人が健全に働き、キャリアプランを構築していけるような環境は整えていきたいと思っています。

 

ーご自身の今後についてはいかがでしょうか。

これまでひたむきにレストラン経営に取り組んできたんですが、逆に経営そのものが僕にとって負担になっていることもあったんです。なんのために働いているのか自分を見失いそうになった時期もありました。そういうこともあって5店舗あったうちの2店舗は今は手放したんですが、そのおかげで心の負担もかなり軽減されましたし、視野も少し広がってきました。

また心を整えてから、次のステップへと進みたいと思っています。

今後の展開としては、まずビストロはやってみたいなというのがあって、これはうまくいけば近いうちに実現できると思います。あとはカフェの店長をやっていた経験もあるので、カフェも機会があればチャレンジしてみたいですね

あと飲食ではないのですが、サッカースクールのような子供向けの事業もやってみたいと考えています。僕自身も子供が3人いて、子供と触れ合う機会が自然と増えていったので、彼らのためになるようなことを事業として興したいと思っています。

家内が携わっている分野として、エステ事業や介護事業も視野に入れています。もちろん全部を一度にやることは無理な話ですが、今後は飲食に縛られず、もう少し自由に動いていきたいなと思います。

 

ー本日はありがとうございました。

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