特集記事【フライドグリーントマト株式会社 栗原 幹雄】「売価は原価で決めるな」業態立ち上げの天才が語る事業拡大の教え

プロフィール

フライドグリーントマト株式会社 / 株式会社グリーンズプラネットオペレーションズ
代表取締役 栗原幹(くりはら みきお)

1951年生まれ 川越市出身

日本大学生産工学部建築工学科で建築を学ぶ。
大学卒業後は、積水ハウスに入社。積水ハウスを退社後、義兄とともに「ほっかほっか亭」を創業し4年で1,000店舗まで拡大する。1992年には「フレッシュネスバーガー」を創業し200店舗まで拡大させた。現在はフライドグリーントマト株式会社と株式会社グリーンズプラネットオペレーションズの代表取締役を兼任し、全国にある140店の飲食店を運営している。

■企業HP

フライドグリーントマト株式会社 https://www.friedgreentomato.co.jp

株式会社グリーンズプラネットオペレーションズ http://www.greensplanet.co.jp

 

環境が人を育てる

実業家の家庭で育つ

-幼少期はどのように過ごされましたか?

私の実家は、100年以上の歴史をもつ楽器屋です。比較的裕福な家庭で、楽器やレコードに囲まれて育ちました。

小学校6年生の時には友達とバンドを組んで、ヤマハ主催のライトミュージックコンテストに出たこともあります。

また、小学校のころから映画館に通い洋画を見たり、ビートルズやオリンピックを見に行ったりと、周りと比べると特別な体験をたくさんしてきました。

新しい物に触れると感性も変わってきますから、生い立ちや育った環境というのはやはり重要だなと思います。

 

-当時ご実家を継ぐつもりはありましたか?

いえ、私は次男なので継ぐつもりはありませんでした。また、経営者になりたいとは思っていませんでしたが、学校に行かないで働きたいという気持ちはありました。商売人の家の子どもだからでしょうか。

そうはいっても、友達と釣りをしたり虫を捕まえたりするようなごく普通の少年でした。

 

-スポーツなどはされていましたか?

高校は、板橋の城北高校に進学しました。そこでラグビー部に入部したのですが、この時の経験が後に社会で活きます。

私はラグビー部に入部したものの、一度も試合を見たことがなかったのです。そこで、「試合を見せてくれ」と志願し、初めて試合を目の当たりにしました。

その時に思ったのが「完成品を見ないと練習をしても意味がない」ということです。ラグビーではボールを前に投げてはいけないとか、いろいろとルールがありますよね。口で言われるだけでは練習していても意味が分からないではないですか。仕事でも同様で、うまい人の完成品を見せて、不必要に手を出さずに教えるというのが一番だと思います。

 

-大学はどこに進学したのですか?

日本大学生産工学部建築工学科です。当時建築にはあまり馴染みが無かったのですが、「T定規を担いで筒を持って電車に乗るのはかっこいい」という憧れだけで入学したのですよ。

大学時代はとにかくアルバイトをして、そのお金で全国を旅行したりと大学生活を満喫していました。

 

熱意は伝わる

順風満帆のサラリーマン生活

-大学卒業後の就職先を教えてください。

積水ハウスに就職しました。新入社員は40日間滋賀県で研修を受けたのですが、これがとても勉強になったのです。研修の内容は、4人1組のチームになり、40日の中で図面を元に一度家を建てて、それを壊すというものでした。この無理難題に最初は「この人たちは何を言っているんだ」と思いましたが、意外と家って建つものですよ。この経験は、とても自信に繋がりました。今ジャングルに放り出されても、ナタさえあれば家を建てる自信がありますから。

 

-積水ハウスではどのような仕事をされていたのですが?

長野県にある営業所の設計部に配属されました。そこで申請書類などの管理をしていましたが、1年ほど経って所長に「現場監督をやらせてください」と頼みます。「今時現場監督を志願する人は少ないから偉いよ」ととても評価してもらえたのですが、実は私は無線付きの車と作業着、ヘルメットの姿に憧れていたのです。

念願叶って現場監督になりましたが、22歳という若さで分かからないことが多かったので、職人さんから洗礼を受けました。職人さんに「これってどうやってやるの?」と聞かれたので、本社に戻って先輩に聞いてそれを伝えると「知っているよ」とかね。ですが、こういったやり取りを丁寧に何度も繰り返していると、1年経つ頃には私の言うことをしっかりと聞いてくれるようになりました。こちらが情熱を持って接すれば、相手に伝わるものです。 誠意と情熱を持って仕事をこなしてると順調に出世もできましたし、仕事はとても楽しかったです。そんな時に義理の兄から電話がかかってきました。

 

-義理の兄といえば、ほっかほっか亭創業者の田淵道行様ですよね?

そうですね。少し話は反れますが、実は私は妻と出会ってたった1時間ほどで結婚を決めたのですよ。大学時代、20歳くらいの時に三宅島の民宿でアルバイトをしていたのですが、その時にお客さんとして妻が友達とグループ旅行にきました。その時は特に何も無かったのですが、それから少し経って、新宿でばったり再開します。そのまま喫茶店に行き1時間ぐらい話し込んで、「結婚しよう!」ということになったのです。お互いビビっときたのでしょうね。これは、私の人生を変えた出来事と言っても過言ではありません。その妻の姉の夫が田淵になります。

 

4年で1,000店舗を達成

ほっかほっか亭を創業

-田淵様とはどのような話をされたのですか?

「弁当屋をやりたいのだけど」という話をされました。私は実家がYAMAHAの特約店をしており、フランチャイズに似ておりある程度仕組が分かっていたのと建築の仕事をやっていたので、店つくりができるのではないか、という事で、今の会社を辞めて一緒に弁当屋をやろうと誘われたのです。数時間話し込むと盛り上がって田淵道行と青木達也と一緒にほっかほっか亭を創業することを決意しました。

次の日には、早速積水ハウスに辞表を出します。会社に残るようにとかなり引き止められましたが、それを押しきって上京しました。東京に帰ったその日からすぐに創業に向けて準備を始めましたよ。

-仕事は順風満帆だったのに辞めることを決意したのはなぜですか?

仕事内容はとても楽しいし長野県の人は穏やかだし、とても幸せな環境だったと思います。ですが、「こんなに幸せで人生が終わるのは嫌だ」とふと思ってしまったのですよ。お金に執着心がなかったですし、人生一度しかないからもう一度ゼロから始めるのもいいなと考えました。 自由に何かをやるのはとても楽しいじゃないですか。

 

-ほっかほっか亭が異例の早さで拡大したのはなぜですか?

1店舗から始めたほっかほっか亭ですが、4年で1,000店舗を超えました。ですが、宣伝や呼び込みは全くしていないのです。

例えばとんかつ弁当を注文されたら、その都度衣をつけて揚げるので7分程度はお客さんがお店で待ちます。そうすると、順番待ちのお客様で列ができてしまうのです。それは行列のできる繁盛店と勘違いされたのでしょう。

また当時の原価率は55%くらいで、いいものを安く提供していました。他の弁当屋とは差別化したかったので、FLコストは崩したやり方で他の飲食店に勝とうと思ったのです。のり弁や鮭弁は260円でしたから。噂が噂を呼び、新店舗ができると宣伝をしなくてもお客さんが並びました。

 

-フランチャイズを拡大させるコツはありますか?

オーナーには、お金のことを正直に話していました。実際のレジレシートを持って、家賃や宣伝費のことなども明確にしていましたね。後はもう口コミですよ。開店すると儲かるという噂がたち、青森や九州など地方からも志願者が来たので、サブフランチャイズ制にして、エリアを県別に分けました。

当時はレジも多機能ではなかったので、「ごまかされても嫌だな」と思いロイヤリティは定額制にしていました。当初、給料もゼロでしたから、本当にロマンだけですよ。初期はフランチャイズそのものがよく分かっていなかったので「加盟店を儲けさせ過ぎたよね」と今でも田淵と話しています() 加盟店が儲かったことが増えた要因でもあります。

 

-栗原社長はほっかほっか亭で具体的にどのような役割をしていたのですか?

店舗を増やすというのが私の役割でした。「6坪ぐらいでここで売れたのだったら、こっちでも売れるだろう」とか推測して、いい物件があるとすぐにお金を置いておさえていました。かなりの数をおさえていたので、すっかり忘れて3年ぐらい放っておいた物件もあります。

ほとんど田淵、青木、私の3人で運営していましたから、1人10役やれということで、とても忙しかったです。朝打ち合わせをしたら、夜中の2時過ぎまで仕事をしていましたね。会社に入ってくれる人もいましたが、忙しすぎてすぐ辞めてしまいました。

今でもこの指とまれ方式で、自分が走っていてビジョンが見えている人を引っ張っていく形なので遅れる人は置いていくしかないのです。

 

認知度は財産

フライドグリーントマト株式会社 栗原 幹雄4

周囲の反応の変化

-ほっかほっか亭は拡大しても順調でしたか?

都内に250店舗ぐらいできると、競合店が無ければもうどこでも売れるようになりました。だから初期の活躍ってとても重要なのですよ。

初期のころは、私が銀行に行き入金していたのですが、銀行で「ほっかほっか亭様~」と呼ばれると銀行にいる人が「ふざけた名前だな」と振り返っていました。それが恥ずかしくて、「栗原と呼んでください」なんていうお願いをしたこともありましたよ(笑)ですが、認知度が上がってくると、女性たちが「可愛い店名」とか言うわけです。また認知度が高いと、それだけで買ってくれますよね。そう考えると、認知度は財産です。

認知度を上げるまではとても大変ですけどね。

 

趣味で始めたフレッシュネスバーガー

フレッシュネスバーガー創業

-フレッシュネスバーガー誕生の話を聞かせてください。

お付き合いのある不動産屋の社長が小屋を一軒持っていたのですが、そこは何をやってもうまくいかないというのです。そこでどうにかしてくれないかという相談をされました。

すぐに車を走らせその物件を行くと、アメリカで見たハンバーガー屋の雰囲気にとてもよく似ていたのです。そこで私は、24時間ほどかけて図面を書きました。そしてすぐに、軍資金調達のためゴルフ会員権を売却しました。すると当時150万円で購入したゴルフ会員権に850万円の値がついたのです。そのお金を元手にフレッシュネスバーガーを始めたわけです。

昼はほっかほっか亭で働き、夜はフレッシュネスバーガーの創業に向けて、大工さんと一緒にお店を作っていきました。天井を壊そうとか梁を残そうとか、相談しながら手作りでお店を作るのはとても楽しかったことを覚えています。最初は、「もしダメだったらやめればいいや」と趣味のような感覚でした。

 

-フレッシュネスバーガーはすぐに軌道に乗ったのですか?

1つ270円のハンバーガーがメインで、1日7,800円ほどの売り上げだったので、近所の方にも「大丈夫なの?」と心配されましたよ。

ですが、これからはエスプレッソが流行ると思ったので、エスプレッソマシーンを入れて6ヶ月ほど営業していると、月に300万円ほどまで売り上げを伸ばすことに成功したのです。この時はまだほっかほっか亭も忙しくて抜けられない状態だったので、フレッシュネスバーガーはのんびりと運営していました。

1994年にほっかほっか亭を抜けさせてもらい、フレッシュネスバーガーが本格始動となります。フレッシュネスバーガーは結果的に200店舗まで増やすことができました。

 

-株式会社フレッシュネスの代表取締役を退任したのはなぜですか?

代表取締役を退任したのは、フレッシュネスバーガーの20周年、私が還暦の時です。還暦になった途端、ちょっと気が弱くなったのかもしれません。若い時はリスクについて考えなかったのですが、会社がおかしくなったら…という考えが60を過ぎてふと頭をよぎりました。社員にはそれぞれ家庭がありますし、日本の制度はやはり大手寄りなので、大きい上場会社のようなところが大元でやった方が、社員にとっていいのではないかと思ったのです。

 

原価率から売価を決めると失敗する

FLコストにこだわらない

-大手と競合するためのコツはありますか?

今はコンビニで100円払えば、美味しいコーヒーが飲めますよね。ですが、私たちは100円で出すわけにはいきませんから、例えば器を変えたりお店の内装を変えたり(サードプレイス理論)、ホスピタリティのある接客をしたり、より専門店化するとか、何か付加価値をつけないといけません。ちょっと高くても付加価値を重視する人は一定数いるので、スターバックスなどでコーヒーを飲む人がいるわけです。

私の場合は手作り志向なので、できるだけ手作りでやっています。一方大手は工場生産ですよね。もともとエンジンが違うところと争っても、スタイルや投資をする場所が違うわけですから、大手には敵わないとネガティブになる必要はありません。

 

-顧客満足度のために意識されていることはありますか?

先に原価を考えて、原価から売価を決めるところは、すぐに潰れてしまうと思います。取引の量が増えれば原価は下がるわけですから、まずはお客様の心を掴むのが大切です。その後は社内努力次第。実際にフレッシュネスバーガーも、原価50%ほどからスタートして、店舗が増えるにしたがって30何%まで落とせていますから。

 

-新しいアイディアはどこからでてくるのですか?

今は物で溢れているため消費者の飽きが早いです。ですが、新しいビジネスは、食材の確保やスタッフの能力の構築、認知率などある程度作るまでに2年ほどはかかります。ですから、これから流行っていくかもしれないものを早いうちからテストを重ねていかなければなりません。

個人的な意見として、業態寿命が短いですが、最低でも10年は持たせないと駄目だと思います。

フライドグリーントマトでビジネスモデルを確立し、それをグリーンズプラネットに移し拡大して、いいオペレーションができたら第三者にも初期投資なしで譲っていけたらと考えています。

 

店舗を増やすノウハウ

フライドグリーントマト株式会社 栗原 幹雄8

出店場所は通行人を見て決める

-店舗を増やすコツはありますか?

やはりロケーションの判断というのは大切です。いい物件を早く見つけるためには、不動産屋と良い関係を築くといいでしょう。最初はとにかくいろんな物件に飛び込んで名刺を置いていきます。もちろん全てを購入するわけにはいきませんから、時には断ったり…というのを何度も丁寧に繰り返すのです。断りを早することによって、早く結論を出す会社と思われ、そうし信頼関係の土台を作っておけば、いい物件があると向こうから話が飛び込んできます。不動産には、一般媒介と専任媒介がありますが、やはり専任媒介の方がいい物件が多いでしょう。

 

-店舗を出す場所はどのようにして決めていますか?

その場所に出向き、通行人の服装や手荷物、靴などを見ます。例えば今展開している弁当屋を出店する場合、カジュアルな格好をしている人が多い場所を選びます。綺麗な服装をしている人は、食べる場所を持っていないのですよ(イートインカフェ向き)。
逆にサンダルにビーチバック、というような方はテイクアウトを必要としている場合が多いです。

大手はきちんと基準を決めているようで、本来はそれが正しいとは思いますが業態によって基準は変わってくるので、私のように業態が多い会社は基準に捕らわれず多重人格でなければいけないのですよ(笑)

 

ウェブ管理のメリット

正社員は16人

-現在従業員は何人くらいいますか?

正社員とアルバイトを合わせると500人ほどです。正社員は少なく、フライドグリーントマトとグリーンズプラネットで16人しかいないので、お店は全てアルバイトで回しています。 今はもうネットで銀行や会計事務所と繋がっているので、事務作業は全て事務所で行えるようになりました。

 

-正社員16人で140店舗を管理できるのですか?

正社員が少人数でいい秘密は、億単位の費用を掛けて作った自社システムにあります。140店舗の情報が全てクラウドに入っていて、時間帯・日別の売り上げはもちろん、リアルタイムのシフトまで分かるので、事務所にいながら店舗のことを全て把握できます。連絡もこのシステムで行っているので、電話はほとんど鳴らないのですよ。

ウェブ管理のいいところは、問題の早期発見ができることです。例えばシフトがおかしいなど、もし問題があればフェーストゥフェースで話すために会いに行けばいいし、逆に問題の無いお店は行かなくてもいいじゃないですか。

 

-どのような従業員教育をしていますか?

毎月店長会をやっています。また、オープンからクロージングまでをまとめたムービー を見せて、イメージトレーニングをさせています。

ですが、特に厳しく何かを教育するということはないですね。自分が嫌だと思うことはやらないなどお客さんに対するホスピタリティは大切にしていますが、特別研修を行うこともありません。

うちは見た目も厳しくなく、指輪とマニキュアは禁止していますが、ピアスやネックレス、茶髪もOKです。

 

若者の独立のきっかけを作りたい

今後のビジョン

-今後の目標や理想はありますか?

昨今、人件費高騰、原材料高騰でFLコストのプロトタイプが崩れているのでやはり業態を新しく生み出すという仕事はずっとやっていきたいと思っています。そしてビジネスモデルがある程度構築できたら、第三者により良い条件で引き継いでいきたいです。

大手が新しい業態にチャレンジしてもなかなかヒットはしません。今はベンチャーが厳しい時代ですから、やる気のある方に独立のきっかけを作る人でありたいと思っています。

 

-本日はありがとうございました。

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