特集記事【株式会社サニーワークス 横須賀 健】オペレーションを確立し店舗拡大を図る 従業員を守れる会社を目指して 

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プロフィール

1970年生まれ 東京都出身

株式会社サニーワークス 代表取締役 横須賀 健(よこすか たけし)

大阪府の辻調理師専門学校、辻調グループ フランス校でフランス料理を学ぶ。

帰国後、青山と銀座のフランス料理店で経験を積み、有限会社ヴェールに就職。国立のフランス料理店“ルヴァンドヴェール“で2年間、横田基地内の5店舗を統括するマネージャーとして8年間勤務する。

2004年に独立し、地元の国立に“くにたち桜花“をオープンさせる。順調に店舗拡大を成功させ、現在は飲食店を8店舗経営。

震災をきっかけに、一次産業にも力を入れている。

■企業HP

https://sunny-works.jp/

辻調理師専門学校でフランス料理を学ぶ

アルバイト先の板前に憧れて飲食業界へ

-飲食業界へ進んだきっかけを教えてください。
高校生の時の私は、全く勉強をせずに校則を破ってばかりのいわゆる落ちこぼれです。
周りが進学のことを考えていたときも、私は就職かな~なんて漠然と思っていたんですが、一緒にいた悪友が急に将来のことを真面目に考え始めて少し焦りました。

また、アルバイト先の居酒屋で働いている板前さんがとてもかっこよく、なんでもできるし優しくて憧れていました。
2005年の4月それもあり、将来的に飲食業界に進みたいなと考えるようになります。

そして、高校卒業後は大阪の辻調理専門学校に進学し、フランス料理を選考しました。

-なぜフランス料理を選考したのですか?
モテそうでしょう(笑)その頃は料理の鉄人というテレビ番組があって、西洋料理は何となくシュッとしたかっこいいイメージがあったのです。

卒業後は、辻調グループ フランス校に進学します。フランス校では基本的に、フランス人の先生がフランス語で教えるのですよ。ですが、この頃も夜は仲間と麻雀をして休日は遊びに行って、という感じでまだまだ勉強などしていません。
それでフランス校卒業の前日、先生に「お前は調理師をやめたほうがいい」と言われました。ショックでしたが、実際にまだ魚がおろせなかったですからね。

ただサービスの授業の先生には褒められました。ですが日本でサービスの学校ってあまりないじゃないですか。基本的にレストランビジネスだったら調理師学校一択で、「ホールのセンスがあるよ」と言われても、じゃあホールの方に行こうという考えにはなりませんよね。
もしその時経営やホールのことをしっかりと学べる環境があれば、もっとスムーズに飲食業界に入れたかなと思います。

-専門学生の時に起業を意識されていましたか?
うっすらと「起業しようかな、自分のお店を持ちたいな」という意識はありました。

基本的に調理師になると最終的なゴールは自分の店をもつ、というレールが敷かれているじゃないですか。ですが、本当に自分のお店を持てるのはすごく少ない人数だと思います。やはりお金もかかりますしリスクも高いですからね。よほど意志が強くないとなかなか難しいでしょう。しかも、私はフランス料理を専攻していましたから、フランス料理のお店を作るだなんてさらに大変です。だから、最終ゴールを決めずに調理師の学校に通っていましたね。

ホール業で本領発揮する

横田基地に配属されたことが人生の転機となる

-専門学校卒業後はどちらに就職されたのですか?
まず、青山と銀座のフランス料理店で勤務することになります。この頃は、始発で行って終電で帰るという生活でした。

たくさん失敗もしましたよ。例えば20名のパーティーで出すそら豆のスープを任されたのですが、2度も失敗して結局出来上がったのが13人前です。お客様に出すスープが足りず、当たり前ですがめちゃくちゃ怒られました。
仕事も出来なければやる気もないので時間がただ過ぎていくだけで、やっぱり自分には合っていないのかなと思ったので退職し、地元の国立に戻ることにしました。

地元を歩いていると有限会社ヴェールが経営するフランス店があり、たまたま従業員を募集しています。まだフランス料理に未練があったのですぐに飛び込むと、調理場は人が充実しているとのことで、ホールで働くことになりました。

国立のフランス料理店は都内よりも敷居が低く、働きやすかったですね。また私はもともと調理場出身だったので、「今は調理場がいっぱいいっぱいだからオーダーは少し待っておいた方がいいな」とか、調理場とホールの架け橋として重宝されました。

お客様に対してもシェフ目線で話が出来るのですよ。聞き伝ではなく、自分の経験を元にお客様に料理のことを話せるのでとても喜ばれ、売り上げも上がりました。

そんな中、社長に「横田基地で働かないか」と誘われます。最初はフランス人の店長を雇っていたようですが、フランス人が日本の飲食業界で働いていると、「勤務時間が長すぎる」とか文化の違いですぐに怒って辞めてしまうそうです。店長がそのような状態だと、当然売り上げは伸びませんよね。

私は「ABCは分かるけどその次は何?」というレベルの語学力でしたが、横田基地で働いてみることを決めます。

実際に行ってみると、アメリカ人のお客様と話すのはとても楽しかったですし、マイナスだった売上がプラスに好転して実績も残せたのでとても充実していました。 年に一度友好祭という、一般の人が基地に入れる日があるのですが、2日間で2000万円売り上げたこともあるのですよ。

横田基地では8年ほど勤務し、色々なことを経験させてもらいました。カフェや中華料理店を出店したり、隣に映画館があったのでその映画に合わせて料理を作ってみたり、基地内のジムに広告を出したり、社長はほぼ来なかったのでほとんど任せてもらっていた形です。

この時にホールに携われたことと経営や数字を学べた経験は、その後にとても活かされています。横田基地に行ったのが、私の中で大きなターニングポイントとなりました。

努力は報われる

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日本人の強みを磨く

-起業をしたきっかけを教えてください。
企画や宣伝などを行い実績を残していると自分は偉いと勘違いし、どこへ行っても「経営とは~」と偉そうに話していました。

そんな中、私の右腕だった部下の男の子が独立をすると言うのです。

私は当時会社からそれなりにいいお給料もらっていましたし、毎年海外に行かせてもらったり車を与えてもらったりしてこれで充分だと思っていましたが、後輩に先を超されたという事実に焦りを感じました。

それに流行る店が作れるという自信はあったので、それからほどなくして独立し、くにたち桜花をオープンさせました。

-フランス料理店ではなく和食屋にしたのはなぜですか?
独立する1年ほど前に、横田基地で働く黒人のシェフに「何でフランス料理をやっているの?私が寿司を握っていて美味しいと思う?」と聞かれました。
今は時代が変わったので海外の人が和食を作っていても違和感がないかもしれませんが、その当時は確かに、海外の人が作った和食に魅力を感じませんでした。

また、「ゆくゆくはアメリカで一緒にレストランを開こうよ」なんて誘われていましたから、その時に自分が日本人だという強みを使いたいと思ったのです。

例えば日本で“日本人カード“は使えませんよね。ですが、アメリカであれば、和食が作れる日本人というのは、すごく強いカードになると思いました。

そこで、和包丁を購入し和食の勉強を始め、くにたち桜花をオープンさせました。

その場所は、有限会社ヴェールの社長が持っていたのですが、経営に失敗をして閉店をした場所だったのです。まだテーブルなども揃っているということで、それを社長から200万円で買取り、トータル300~400万円ほどでお店を出店させることができたのはラッキーでしたね。

-前回失敗した場所でビジネスをするのはリスキーではないですか?
そこは失敗し続けていた場所だったのですが、私はうまくいく自信しか無かったですね(笑)横田基地に入ってからの8年間はずっと成功していたので、「努力をすれば結果が出る」ということが分かってましたから。

実際にうまくいきましたよ。国立は春、大学通りに桜が満開になりお客様がたくさんいらっしゃいます。地下のお店だったのですが、階段からずらりとお客様が並びました。お客様のニーズに合わせお客様が喜ぶことをやっていたのでリピーターがすごく多かったです。

また、競合店が少なかったというのもヒットした理由のひとつでしょう。15年ほど前は国立でランチを提供するお店はほとんどありませんでした。今は新しいお店がたくさんあるので、行列店を作るのはなかなか難しいかもしれませんね。

-1店舗目を出した時に、今後のビジョンを掲げていましたか?
全くありませんでした。

ただ世間では焼酎が流行っていたので、伊豆大島の焼酎蔵に行ったり近くの日本酒の酒蔵に行ったりしていたのですが、結局国立にはブームが来ません。
しかも、近くの日本酒の酒蔵が潰れてしまったのです。私が和食や日本酒を盛り上げていきたいと思っていた矢先に日本酒の酒蔵が潰れてしまったものですから、自分のせいで潰れたような気がしました。

そこで2店舗目は、日本酒を売りにした店を出すことにします。でも思いが強すぎると売れません。自分の希望が先行してお客様にチャンネルを合わせていないので当然の結果ですよね。

ただ1店舗目の売り上げが良かったので、2店舗目がそこまで流行らなくても経営は順調でした。

従業員の可能性を引き上ける

人を大切にする企業

-お店を経営するうえで大切にしていることはありますか?
私は料理が作れないので、1店舗目を出すときに横田基地で一緒に働いていた人を半ば無理やり引っ張ってきます。
その方は先輩だったのですが、やり方とかスピード感とか細かいところまで話し合い、何度も言い合いになりました。ですが、仲が悪いわけではなくしっかりと絆で繋がっていた関係性です。

いつものように言い合った翌日、その方がお店にこないのです。「昨日のケンカで嫌になったのかな」と思いながらバタバタと店の準備をしていると警察から電話があり、その方が昨夜事故で亡くなったと聞かされます。

常連様から予約が入っていたので、お店は開けましたが「料理を出すのが遅いし味が全然違う!」とめちゃくちゃ怒られましたね。

その後、昼過ぎに病院にかけつけましたが確かに彼は亡くなっていて、毎日本当に辛かったです。遅くまで仕事をさせていたから事故にあったのではないか、自分が引っ張ってきたのが良くなかったのではないか、と思い自分を責めました。一週間ぐらいは仕事も手につきませんでしたが、私には家族がいましたし生きていかなくてはいけなかったので、頑張らなければと再度発起します。

実は彼と「最終的には海外に店舗を出したいよね」など、将来の話もたくさんしていたのです。そうすることでビジョンややりたいことができてきたので、いつか海外に出店したいと今も強く思っています。

また人を大切にしたいと思うようになりました。

-「人を大切に」とは具体的にどのようなことでしょうか?
最初は、ルールでギチギチに管理しないというところから始めています。

そして仕事をしていく中で、その人の可能性を引き上げていきたいです。みんな見えないレールが敷かれていてその上を走っていると思いますが、私がその鱗を落としてあげるという感覚でしょうか。私が横田基地の中で目覚めたような感覚を、みんなにも持ってもらいたいと思っています。

多店舗経営に踏み出す

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オペレーションを確立し店舗拡大

-もともと店舗拡大はするつもりだったのですか?
そうですね。2店舗目を出したときには、3店舗目を出したいという意欲がありました。

そうしたら、私の実家の近くで公共施設の中に入っている100席ほどのハコが入札を待っているというのです。今までのお店は20数席でしたし3店舗目のそれくらいの規模で考えていましたが、入札したところ通ったので挑戦してみることにしました。

そこから本格的に多店舗経営を視野に入れましたね。

その場所はコンサートホールに併設されているレストランです。こういった店舗はとても特殊で、コンサートのスケジュールに合わせてお店を回していかなければいけません。

コンサートは開幕時間が決まっているので、大体その1時間ほど前にお店にお客様が入り、100席は5分ほどで埋まってしまいます。そうすると、最初に注文したお客様と最後に注文したお客様では、注文時間がたった5分の違いでも料理が出てくる時間が全く違います。ですから個人店でそのギャップを埋めるのはかなり難しいのです。

そのためそういったレストランは、大きな飲食企業などが多いのですが、冷凍の物が多かったり料理のクオリティーが低かったりしてしまいます。

もちろん当社も初めはめちゃくちゃ苦労しましたよ。集客を見込んで従業員をたくさん入れたのにお客様が全然来なかったり、逆に従業員がいないときに満席になったりといった失敗をたくさん経験しました。

ですが、徐々にどんなコンサートで集客でるか、できないかということや料理を提供するオペレーションが確立できて、今は落ち着いて利益を出す事に成功しています。

そのため、それ以降もコンサートホールに併設されたレストランを中心に店舗展開をしていきました。

顧客満足度を上げるための考え

社長の顧客は各店の店長

-顧客体験や顧客満足度のために行なっていることは何ですか?
基本的にテクニックはあまり必要ないと思います。同じ花を見て同じようにきれいだね、と言えることは大切だと思いますが、どこがきれいかはその人の見方次第です。

また、私が目を配れるのはそれぞれの店の店長6~7人です。私にとって顧客というのは彼らだと考えています。ですから彼らにしっかりアプローチできれば、自ずとお客様に的確なサービスができるでしょう。

私が唯一行っていることといえば、他のお店を視察し、「今はこんなのが流行っているよ」とか「これがいいんじゃない?」ということを情報として与えることですね。

飲食業は、人対人で成り立っています。何をするかというよりは、誰とするかというのが大切なのではないでしょうか。

従業員を守れる企業に

一次産業にも進出

-今後の会社としての展望を教えてください。
やはり海外への出店はしたいと思っています。
まだ具体的なことは決めていませんが、初めての海外店舗はタイになりそうです。というのも、私がずっと応援しているムエタイの世界チャンピオンがいるのですが、引退をしたら当社で働くことになっています。その彼とバンコクに何度か視察に行っているので、彼が入社したら具体的に話が進むでしょう。

タイの食文化は進んでいて、とても美味しいですよ。バンコクにお店ができればスタッフが入っていろいろなことを経験したり勉強をしたりする良いきっかけになると思うので、一人でも何か感じることがあれば嬉しく思います。

ただ、私が海外に出店したいからといって、会社のお金を使って海外出店してもうまくいかないでしょう。基本的に店舗は店長主体で運営してもらっているので、従業員が海外にお店を作りたいと思えるきっかけがあるときに出店したいと考えています。

また、海外店舗への思いを強くしたのは、震災がきっかけです。当社は公共施設が多いので、震災があるとコンサートが中止になり集客が全く見込めません。ですがスタッフたちは守っていかなければいけませんよね。

だから何かあった時にスタッフを守れるような企業の仕組みを作りたいと思っているのです。

また、震災などで本当に食べるものに困るような事態になったことを想定し、一次産業にも力を注いでいます。
私は狩猟の免許を持っていますし、養蜂やアウトドアの知識もありますから、基本的に自分たちが食べるものは自分たちで作り、何かあった時には当社の社員を守れるような企業をこれからも目指していきたいです。

ー本日はありがとうございました。

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