特集記事【株式会社石川 石川敏樹】挫折で得た数々の学びを元に店舗拡大

株式会社石川 石川亭 石川敏樹

プロフィール

株式会社石川 代表取締役社長 石川 敏樹(いしかわ としき)

1968年生まれ 埼玉県出身

辻調理師専門学校を卒業後、フレンチの名門 株式会社東京會舘に就職し料理人人生をスタートさせる。その後リゾートホテルや株式会社アークヒルズクラブで経験を積む。
2002年4月にビストロ石川亭を開店させ、現在は10店舗の飲食店を経営する。

■企業HP

https://ishikawatei.co.jp

花形ピッチャーから一転 挫折を味わった高校生活

小学生で132kmの速球を投げるスーパーエース

-どのような幼少期を過ごされましたか?

私は埼玉県春日部市の出身で、二人兄弟の次男として生まれました。父は普通のサラリーマンでしたが、海外出張で家にいないことも多かったです。特に教育熱心だったということもありません。

小学生の時の夢はプロ野球選手です。父が少年野球のコーチをしていて、兄も入っていたので私もかなりのめり込んでいました。大きな団地の中にある強いチームだったのでチームメイトもかなり多かったです。

そんな中、私はピッチャーをしていました。というのも、4年生の時には身長160cm、5年生で170cm、6年生の4月には182cmとかなり体格がよかったのです。球速も132kmくらい出ていたので、普通の小学生には打てませんよね。子どもの中に大人が混じっているようなものです。

中学校になると周りは変化球を練習していましたが、私はそのままのスタイルでも勝てたので、周りの大人から「大学まで保証するよ!」という声をかけられたりもしました。

 

-高校でももちろん野球を続けられたのですよね?

高校も野球部が強い学校に進学します。

ですが、高校2年生の夏で野球を辞めてしまいました。それまでは周りと比べて体も大きく力に任せてピッチャーをしていましたが、強豪校に入るとそういう人がごろごろいます。それまでは当たり前に試合に出ていたのが、ベンチにすら入れず初めてスタンドから試合の応援をすることになりました。その時に“恥ずかしい”“みっともない”という気持ちになってしまったのです。今思えば、それこそが恥ずかしい話なのですが。

 

初めての挫折が糧になっている

-高校生の時に初めて挫折を味わってどうでしたか?

大人になって思うのは社会で成功している経営者は、挫折を知っている人やいわゆる縁の下の力持ちのような人だと思います。ずっと順調な人は、社会に出て挫折したとき踏ん張れないのです。だから今は、この時に挫折を経験して良かったと思っています。

もちろん、ずっと花形で居続けるための努力をするのはとても大変なことだと思いますし、これはあくまで私の周りではという話です。

 

-野球を辞めてから何かされていたのですか?

勉強は全くしていません。勉強も野球もしていないので、アルバイトをすることにしました。最初はスーパーでアルバイトをします。この時の時給は480円。35年ぐらい前なので当時はこれぐらいの時給が当たり前です。先入れ後出しなども分からないのでいつも店長に怒られていましたね。

その他食品工場や、ネジの工場などでもアルバイトをしていたので、結構お金がある高校生だったと思います。

 

1日体験入学で飲食業界に進むことを決める

株式会社石川 石川亭 石川敏樹

-高校卒業後の進路を教えてください。

高校を卒業して正社員で働くという選択肢はなかったです。ですが勉強をしていなかったから大学にも行けません。

そこで、いろいろと専門学校の資料を取り寄せました。その中に辻調理師専門学校の資料がありました。中を見てみると1日体験入学は交通費が1万円支給されると書いてあり、ちょうど大阪に遊びに行きたかった私にはピッタリな話だったのです。

「こんな形で旅費が捻出できるとはラッキー」というかなり不純な気持ちですぐに申し込みをしました。

ですが、 実際に1日体験入学に行くと和食の実技で衝撃を受けました。メレンゲなどでかまくらを作りその中に料理入れたものを見たのですが、それに凄く感動して…。高校生って一番感受性が豊かな時期ですよね。今までは料理はお腹いっぱいになればいいと思っていましたが、この実技を見た瞬間に私が進む道は料理だと確信しました。

この瞬間が私にとっての人生の大きなターニングポイントになったということです。

その後、念願の辻調理師専門学校に入学します。

フレンチを選択したのはかっこいいから

両親から学費以外は自分で捻出しなさいと言われていましたので、学校に通いながら串カツを提供している“串の坊”で住み込みのアルバイトをすることになります。ダメな話しなのですが、正直、調理師の専門学校に進学したからといって料理に本気で取り組み始めたわけではなかったです。アルバイトで疲れ切った後に、先輩にご飯に連れて行ってもらうという毎日でしたね。

もともと和食に感銘を受けて入学を決めましたが、和食の料理人や学校の先生の話を聞いたり、実際の仕事内容を見ると和食は厳しそうだと思ってしまいました。他にも、中華は厨房が暑そうだから嫌だなぁと思っていました。その中でフレンチだけは味や美味しさはよく分からないものの、なんだかかっこいい!と思い「ただかっこいいから」という理由でフランス料理専攻科に入ったのです。

 

店をうまく回すためにはアルバイトをうまく扱えるかが重要

-専門学校卒業後はどこに就職したのですか?

この時はかなりの出世欲がありました。とはいえどこで働きたいという希望はなかったので、友人の父や先生に勧められた株式会社東京會舘に入社します。フレンチの名門と言われていて、私が就職した年の倍率は20倍以上だったそうです。自分でもなぜ受かったのか不思議に思います。

私が配属されたのは宴会場でした。実際に入社してみると、料理を作るわけではありません。割烹着と長靴を渡されて、まずは皿洗いと鍋洗いを永遠にやらされるわけです。とにかく忙しい時代で、シンクまで行くのに山積みになった鍋をまず避けてからじゃないとたどりつけないほど無数の鍋がありました。

この時に学んだことは、人をいかにうまく扱うかということです。洗い場に入っているのは、正社員が2人とあとはアルバイトなので、いくら新入社員とはいえ私が人を使う側になります。到底自分だけ頑張っても終わらないので、「あなたはこっち」「きみはこっち」と効率よくアルバイトを動かす必要があります。またその際、アルバイトとの信頼関係があれば、より話を聞いてくれます。そのため相手の興味のある話をふったり、日ごろから会話をたくさんしたりしてコミュニケーションをしっかり取っていました。

逆もしかりで、ただ無愛想に「大至急この鍋を洗って」と言われてもやる気が起きません。一方中には、残った食材を味見させてくれたり、オリジナルのドリンクを作ってくれたりする優しい先輩もいるわけです。その先輩に「申し訳ないんだけど、急ぎで鍋を洗ってくれる?」と言われれば大至急洗います。結局相手にしたことは自分に返ってくるということを学びました。

 

-東京会館を辞めるきっかけは何だったのですか?

東京會舘には5年ほどいましたが、大きい会社だったので細かい技術面では学ぶことは少なかったです。

そんな時に先輩に「お前はこれからどうしたいんだ?」と問われたのです。そこで私は「自分のお店を持ちたい」と答えると「ならここにいちゃだめだよ。街場に行かないと。」と諭されました。

 

さまざまな飲食店に就職し経験を積む

-東京會舘を退職後、リゾート地でアルバイトをされていたそうですね。

そうですね。
当時すごく有名なレストランのマキシム・ド・パリ出身の料理長が働いていて、ものすごく感銘を受けました。
東京會舘では「魚を捌くなんて10年早い」という扱いでしたが、ここでは自分より年下の人が普通に料理を色々と任されているのです。
私はアルバイトだったのでそれを横目に見ながら面白いなと感じていました。

また海の側だったので、休憩時間に入るとスタッフが海に潜ってとってきた貝でまかないを作ったり、きのこを自分で収穫したりと東京ではできない体験に溢れていました。

 

-東京に帰ってからはどこに就職されたのですか?

アークヒルズクラブに入社しました。東京會舘で働いていたということもあって、料理ができると思われていたので入ってすぐに魚の調理場を任され、部下が4人つきます。ですが、現状は趣味で魚を捌く程度。最初は部下に仕事をふってうまく立ち回っていましたが、もちろん1ヶ月ほどでできないのがバレてしまいます。そして、シェフにみっちりとコツなどを教えてもらうことになりました。今までは何となく料理に携わっていましたが、この3年間は真摯に料理に向き合った時期でしたね。

 

独立して多くの挫折を味わう

-その後独立をされますが、事業はスムーズに軌道に乗ったのですか?

私は、自分の料理に絶対的の自信がありました。そのため、絶対成功すると確信していたのですが、まず仕入れができなかったのです。信用がないので、どこも取引をしてくれません。今でこそネットで注文することができますが当時はなかったので、休みの日には東京中のスーパーマーケットを回りバケットを買い占めたものです。

12坪20席の小さなお店だったので、最初はスムーズに軌道に乗ったように感じられました。オープン前には、お店の前に長い行列ができるほどです。

しかし、私は料理しか勉強してこなかったので、それ以外のことは分かりませんし、気も回りませんでした。例えば、 予約で席は埋まっているのにも関わらず、オープン前に並んでいるお客様にそのことを伝えず、さんざん待たしてオープンしたときに「予約でいっぱいです」と伝えるのです。もちろんお客様はカンカンに怒るのですが、私はなぜ怒っているかということが分かりませんでした。

また、営業中に従業員に対して大きな声で怒ったり、ガラス貼りの内装にもかかわらずお店の中で仮眠を取ったりしていたので当然どんどん客足が遠のいてしまいます。

従業員に対しても横暴な態度をとっていたので、気づいた時には私の周りからは誰もいなくなってしまいました。

 

-お店を持ち直したきっかけを教えてください。

半年ほど経って、主婦の方がパートとして入って下さったのです。その方にも厳しく接していたのですが、10歳ほど年上の方だったので少々怒ったところで全く動じません。それどころかママ友や知り合いをたくさん呼んだり自分自身が客として来店したり、売上に貢献してくれました。

また、私の親戚も頻繁に足を運んでくださるなど沢山の方に支えられて何とかお店を持ち直すことができました。

ですが、予約が入っている日に自分が病気で倒れてしまい、営業ができないという状態になったのです。この時に1人仕事は危険だなと感じました。

また当時は子供がすごく欲しかったので、土日が稼ぎ時のこの土地では子供の学校の行事などにも参加できないと思い、土日に休めるような土地で勝負をしようと考えるようになりました。

 

たまたま目の前にあったキャベツに救われ一発逆転!

-それでサラリーマンの多い神田にお店をオープンさせたのですね。

資金繰りは厳しかったですが、妻が独身時代に貯めていたお金を私に託してくれたことと銀行から融資を受けられたことで何とかオープンすることができました。

ですが、今までとは比べものにならないほど家賃が高く同じ売上を上げたとしてもかなり厳しい状態が続きました。本当にいつ首を吊ろうかなと考えていましたね。

 

-そのような状態からどのようにしてお店をここまで拡大できたのですか?

ヒットしたきっかけはハンバーグです。フランス料理は本来ハンバーグはやりません。ですが本当に土壇場だったので、一緒にシェフをやっていた相方と「ハンバーグなんてどうかな」 という話になりました。とりあえず作ってみようということで、ハンバーグを作っていると、目の前にキャベツが置いてあったのです。それをザグザグと切ってハンバーグに入れて次の日お店に出してみました。

本当にたまたまなのですが、このタイミングで美食家の来栖けいさんが来店されて「こんなの食べたことない!」と絶賛してくださいました。その流れで、テレビで特集が組まれ一気に大ヒットとなります。その他ぐるなびのフレンチイタリアン部門で全国4位を取るなど、メディアの影響力を感じました。

そんな中、テレビを見たディベロッパーさんから「多店舗展開に興味はありませんか?」というお話を頂き、 徐々に店舗を増やしていくことになります。

 

お客様が求めるものを提供したい

株式会社石川 石川亭 石川敏樹2

-顧客満足度を上げるために意識していることはありますか?

基本的に、今店舗を出している地域はオフィスが絡んでいるところが多いので、短い昼休憩の間に足を運んでいただいています。そのため、スピード感を大切にしています。お店でご飯を食べて美味しいというのは当たり前ですが、出てくるのが遅いとそれも半減してしまいませんか?

また私は今あるお店は胸を張って「フレンチ店です!」とは言えません。それは、お客様の求めるものを作りたいと考えているからです。料理人は「こんな料理が作りたい」「こんな料理を食べてもらいたい」と思いますが、それは自己満足です。そうではなくお客様がパスタを食べたいと言われればパスタを作るし、洋食店ができるものであれば柔軟に対応したいと思っています。

なので洋食店としてお客様に満足していただけるお店であり続けることを意識しています。

 

従業員が家族に感謝されるのが目標

-従業員満足のために意識していることはありますか?

お店を出すまでは、ポルシェに乗りたいとか自分にお金を使いたいとか自分のことばかり考えていました。ですがある程度収入が安定してくると「従業員のために何かしたい」という方向にマインドが変わりました。

具体的には、従業員の誕生日にはサプライズでデザートを用意してお店で祝ったり、 家族の記念日には仕事を休むように助言したりといったことです。私がそうだったように従業員にも家族との時間は大切にしてほしいと思っています。

誕生日を祝った従業員からは「こんなに嬉しい誕生日は今までになかった!」と言ってもらえたこともあり、少しでもこの会社に入って良かったと思ってもらえたなら嬉しいです。

今はアルバイトも含めると100人くらいの人が働いているので、なかなか全員のことを把握するのは難しいですが、なるべく従業員のことを気にかけたいと思っています。

また、従業員が家族に感謝されるためにはやはりある程度の収入が必要ですよね。会社としては、料理がお客様の口に入り美味しいと思ってもらえて、それがお金に変わらないと意味がありません。

実は現在は中食のお弁当に力を入れているのですが、それは中食の需要が高まっているからです。シェフの中には「弁当なんて作りたくない」というプライドを持っている方もいますが、それがお金になり社員に還元され社員の家族の幸せに繋がるので、私は必要なことだと思います。

 

働きたい人が輝ける会社を目指す

-今後の目標はありますか?

今のところ店舗を増やす予定はありません。5店舗くらいまでの時は私も現場に入ることがあり従業員との距離も近かったですが、それ以上になるとなかなか統率をとるのが難しくなります。またオープンが決まってから外部からシェフを募集することもあるのでうちの文化を全く知らない正社員がいるのも現状です。そのため、店舗展開よりも地固めをするのか今後の課題だと考えています。

また、積極的に60代70代の方の採用もしていきたいです。60歳以上になると働き口が少なくなりますが、ご本人たちは働きたいという意欲を持っています。特に今力を入れている弁当販売なら、そういう方たちも活躍ができますから。

今はもう「俺の料理をなめるなよー」なんてことは一切ないですね(笑)

 

-本日はありがとうございました。

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