特集記事【株式会社TGAL 河野恭寛】地域の食を世界へ。ゴーストレストランの先駆けを仕掛けた社長は何を見ていたのか。

株式会社TGAL 河野恭寛

プロフィール

株式会社TGAL 代表取締役 河野恭寛(こうの やすひろ)

1977年生まれ 広島県出身

30ブランド以上の有名店とコラボし、一つの店舗で複数のブランドを扱えるテガルデリバリーFCを手がける。
飲食店経営者にとって参入障壁の低いゴーストレストラン(実店舗を持たず、デリバリーのみで営業する飲食店)を独自の形式に整え日本に導入した。
「地域の食を世界に広げる」という事業理念のもと、時代に沿ったブランド開発と店舗の拡大を続ける。

■企業HP

http://tgal.jp/

 

独立を夢見る学生時代

ー学生時代のお話を聞かせてください。

「とにかく東京に行きたい」という思いで、大学で広島から上京しました。経営学部に入って、漠然と「何かしたいな」という思いはあったんですよ。というのも、両親が中華料理屋をやっていたのと、いとこが個人事業主や社長だったので。

大学ではほぼ遊んでましたね。友達と集まって、雑談して。
2年生のときにサークルの先輩から経営戦略のゼミに誘われたんです。それで、「経営って面白いな」と感じました。「マックとモスの違い」とか、「店舗の立地」とか、経営の本当に基本的なところですが、興味を持ったんですね。

 

ーそのときには、将来「事業をやろう」と思っていたんですか。

友達には言っていましたね。「社長になって上場させて、キャピタルゲインで引退したい」と。ものすごく無知だったんですよ。

大学3年生くらいのときにパソコンが世の中に普及し始めたんですけど、僕はわからなかったんです。ただ、「こうなりたい」という思いは強くて。周囲の友達に「独立したい」という人はいなかったし、飲み会で「おまえバカだから絶対無理だよね」と言われるくらいでしたが(笑)「絶対なる」と思っていました。

 

光通信事業の世界では「結果がすべて」だった

卒業後は光通信の業界に入りました。知識がなくて、何をすればいいかっていうのもわからないから、「若いころからチャンスを与えられる会社」、「給料が高い会社」という2つの基準で選んだという感じです。

入社したのはいいけど右も左もわからなくて、パソコンも使えない。僕は携帯電話の代理店営業部に配属されて、いきなり顧客である社長5人くらいを任されました。売り方もマネジメントもわからないのに「どこどこの社長に会ってこい」と行かされるわけです。でも何を話していいのかわからなくて。

そんな中、「出張でお店をオープンさせるから見てこい」と言われて大分に行くことになりました。店舗に行ったら「明日からここの店長やれ」と。

 

ー無茶振りの連続ですね。ネガティブにはならなかったんですか。

今では絶対無理ですけど、あの頃はコンプライアンスとか厳しくなくて。当たり前ととらえていたのでつらくはなかったですね。

大分では何もない状態のお店から作るっていう経験ができました。担当上司も来ないし、隣の隣にあったお店の店長さんにやり方を教わってやりましたから(笑)

プロセスは関係なくて、結果だけを重視する会社だったので。最初は苦労しましたけど、自分で考えて行動するということを学べたかなと思います。

 

ー光通信では若くして経営に回ってらっしゃいますね。

大分から東京に戻って財務本部に行って、今度は九州の責任者になったんです。僕が目標を作っていたので、全国のマネージャーから「できるわけないだろ」と言われるんです。

九州の責任者だけ「いいよいいよ」と言ってたんで、目標を上げたんです。そしたらその人がやめてしまって。「お前が作った予算なんだからできるよな」と言われて九州に行くことになりました。

 

プレッシャーを跳ね除ける強さ

ープレッシャーはなかったですか。

考えてなかったです(笑)「また九州に行ける」くらいで。結婚して子供が生まれたばかりのときでしたね。楽しかったです。

九州に行ったときは3店舗しかなくて、全体で600台しか売れていなかったんです。3月は目標が3000台で3倍以上。3店舗じゃ無理、でも結果は絶対なのでなんとかしないといけない。そのときはダイエーでやってたんですけど、熊本や長崎、いろいろな店舗へ行って、バイヤーと交渉してお店を出しました。

館になってくるとお客さんのキャパシティも決まってるけど、一歩外に出てみれば市場はいっぱいあって、「考え方次第でなんでもできるのかな」と。もちろん1階の良い場所は出させてもらえないので、3階の家電売り場の端っことか。動線を見て実際に歩いてみて、「ここに什器3本だけ置かせてください」とかやってましたね。

 

上司にダメと言われたら、社長に直談判

ー強い力を感じますが、何を大切にされていますか?

1個あるのは、「諦めない」は絶対。一回じゃOKもらえないですから。何度も何度も足を運んでOKを出してもらうという感じです。

津田沼でも店舗を出したんですけど、そのころdocomoの売り上げが圧倒的で、auを全面にしたらお客さんも引いちゃうくらいでした。何度も担当者のもとへ通って、「わかった、一カ月だけあげるよ」と言ってもらえたんです。

でも什器が足りなくて上司に相談したら「稟議通るわけないだろ」って言われたので、社長に直接メールしました。「たった50万円くらいの什器を入れて売り場全面をとれれば、今後大きな売り上げとなる可能性があるのにいいんですか」と。その瞬間OKが出ました。

 

保険事業で得た「信頼がお金になる」ということ

株式会社TGAL 河野恭寛2

ー光通信を卒業した後は?

そのときの上司、役員が独立したのについていきました。当時は「独立したい」という気持ちはあまりなかったですね。ずっとマネージャーをやっていて、従業員も結構な人数、30歳前で良い給料ももらってる。でも、「このままマネージャーやってて何かなるのかな」という気持ちがあって。

ネットが伸び始めてると感じているときに、「ネット事業もある」と言われたので、勉強のために転職してみようかなと。事業内容としてはレップ(インターネット広告で媒体と広告主の仲介を行う事業者)で、今思えばそのときにクリックレートやCVレート、どこに広告を出したらいいかなどを学びました。

その後は社内で回線系〜保険とシフトしていきました。保険はING生命、いわゆる節税保険です。資格をとらないと保険は販売できないので、勉強して。すると保険の代理店を始めて2年連続でINGさんからも新人奨励賞をもらいました。

 

ー他から突き抜けた理由は何でしょうか。

1つあるのは、やっぱり信頼関係です。信頼関係って、自分と相手の間に1人挟むことで高まるんですよね。だから、お客さんに友達を紹介してもらうとか。紹介されるとなかなか邪気に扱えなくなるんです。「信頼っていうのはお金になるんだな」とそのとき思いましたね。

でもうまくいっていることだけじゃなくて、ダメなこともあります。給料が安かったことで病んだことがあって。「なんでこんなにやってるのにこれだけしかもらってないんだ」と。すごく落ちた時期がありました。その後「飲食をやりたい」と社長に言っていたら、30歳のときに始めて飲食の店舗に行きました。

 

飲食をはじめたきっかけ

ー飲食をやりたいというきっかけはありますか。

漠然と「飲食をやりたい」という思いがあったんですよね。気持ちが落ちている時期、広島に帰って両親に話したら「いつでも戻ってきていいよ」と言われました。でもそれがすごく嫌で。飲食で独立して、とにかく大きくしていきたいと。

始めはコンサルタントとして、保険の会社に所属しながら飲食事業を始めました。仕組みだったり考え方だったり、飲食でも流用できますから。

仕事としては始めてなので、トレンチは持てないしハンディは打てないし、アルバイトからバカにされて。僕の店長就任の歓迎会なのに名前がなかったですからね(笑)行きましたけどね。

当時お店がららぽーとに入ってたんですけど、集客が外部環境に左右されるんですよね。雨が降って施設に集客がなかったら来ない、バーゲンをやれば当然売り上げが上がるなど、外部からの影響を受けるのが嫌で。それで製薬会社さんに営業に行ってお弁当の注文をとってきました。

当時はコンサルとして入っていたんですが、あるとき上の都合で全員飲食店側に入ることになったんです。でも、考え方やメソッドの点で違いが大きくて、やめることになりました。

 

突きつけられた「1年間の飲食NG」

ーそこからすぐに独立されたんですか。

飲食で独立しようと思ったらNGが出たので、1年間は業者の社長さんにアポをとって節水バルブを販売したり、食べログ掲載や@LINEなど、飲食周りのことをやっていました。自分の強みは何かと考えると、飲食の社長さんの気持ちがわかることだと。

今の役員を含めた3人で、亀有のボロいアパートで寝泊まりしていました。電話回線引いてテレアポやって。壁に「この人生誰が決めた」って貼って。「最低月収200万円とろうぜ」と頑張っていましたね。

ビジョンは具体的に決まってなかったんですけど、「TGAL」っていう会社名は決まってて、何か面白いことをやっていきたいと。行動理念や店舗ミッションとかは後付けでどんどん作っていきました。

飲食NG条例がとけたとき、上場企業が運営する赤坂のお店で、月200くらい赤字が出てるということで(立て直しを)やってみないか、と話をいただきました。当時はプリンを仕入れて催事や駅で売ったりとその日暮らしですから、「固定でお金がもらえる」という話がとてつもなくうれしかったんですね。

最初は1人あたり30万円で、半年後に成果が出たらコンサルティング料を200万円にしてくれという話になり、11月に始めて、5月くらいから爆上げしましたね。売り上げ400万円くらいだったのが600、800、1000万円と。

 

驚異的な業績アップの理由

ーなぜ、一気に業績を上げることができたのでしょうか。

結構シンプルで、単純に倍働いただけです。

夜と土日営業して、お弁当を販売して、テラス席も解放して、ぐるなびさんを呼んで販促かけて。赤坂・港区で検索したら1位になるように。それでも集客が弱かったんで、「ハッピーアワーで11時〜ハイボール100円にしようよ」と。地域的に外国の方も多かったから、昼間にグラスワインを飲む方も多くて爆発的に当たりました。

ビール100円でも小さなグラスならマイナスにはならない。ハッピーアワーを利用する場合はチャージ料500円としていましたから、収益モデルの作り方が通常の営業と違うんですね。

夜はフードも頼むから、フードでも粗利を稼げる。20時でハッピーアワーは終了だけど、お客さんは結構「いいよ」と注文してくれる。返報性の法則といって、恩を受けると返したくなるんです。

同時にバーニャカウダとして、地場の無農薬の旬の野菜をディップで食べるメニューを出すと女性に好評で。女性が入れば男性も来る。と、こんなことをやっていましたね。

 

ー倍働くと言いつつ、企画・マーケティング要素もしっかりされていますね。

そうですね、でもやっぱりやり続けないとダメじゃないですか。新しいビジネスモデルは受け入れられるけど、飽きられるので。時流に乗って変え続ける。今ならフラッシュマーケティングよりSNSだけど、やるかやらないかで全然違うので。

 

デリバリーサービスで1位になるには「◯◯を増やすしかない」

株式会社TGAL 河野恭寛3

ー現在のデリバリーサービスを始められたのはどのような流れでしょう。

業務委託で僕がお店に入らなくてもいい状態にして、銀座6丁目のお店を買ったんです。数寄屋橋通りは高級なお店ばっかりなんですよね。高級店の中で、安くてアットホームで、ご当地の缶詰を集めてやったら流行るんじゃないかなと。

実際には地震の影響が大きくて赤字続きでした。ほそぼそと続けてたんですけど、「シェイクシャックが来る」という話があって2015年の7月10日にハンバーガー屋をオープンしたんです。ハンバーガー屋と言っても複合体のビジネススキームで、ポータルサイトにお店を出稿しているという感じですね。

当時「ファイヤーハウス」という本郷の老舗ハンバーガー屋さんがすごく売れていて、「バーガーだけでは勝てないな」と思ったんです。出前館のサイトでは地域で1位になりたいと思っていたので、「ブランドを増やすしかない」と。

隣の隣にあった「神保町ビーフ」に毎日通って、オーナーさんと仲良くなって作り方を教わり、その場で作ってデリバリーし始めました。その瞬間から火がつきましたね。

そのうちに「もう1ブランド牛タンやったら売れそう」だなとか、「牛カツが流行ってるからやろう」と、やり始めて。徐々に「地域のものを広めるのっていいね」と、新しい食を広めることのを経営理念に置きました。

「地域の食を日本だけでなく世界に広められたらいいよな」と思って。いろんな有名店さんとコラボをさせてもらい、徐々にブランドを増やしているという感じです。

 

生産者と消費者をつなぐ

ー調理方法を教えてもらえるっていうところがすごいですね。

そのお店だけで良いという人もいれば、自分の作ったものを世に広めたいという人もいる。でも本当は「一人でも多くの人に食べてもらいたい」という生産者としての気持ちがあると思います。

もちろんブランドを汚さないのは当然ですが、「何か橋かけの役に立てれば」という気持ちもあってやっています。

ゴーストレストラン(実店舗を持たず、デリバリーのみで営業する飲食店)は、海外では盛んですが日本では僕たちが始めてです。今市場が伸びている段階で、競合も増えてきていますが。

僕たちは「考え尽くして変化を創造して結果にこだわる」という理念のもとでやる、というのが絶対です。今まで高い価格でしかやっていなかったものを低価格にしたり、時代の流れに適応してお客様の支持を得る。

当たり前の話ですが、事業が存続するかしないかはお客様に必要とされるかされないかだけです。以前はデリバリーも選択肢が少なかったけど、ウーバーイーツさんが出てきて利便性が上がり、選択肢が広がってきているんですね。

 

今後の展望

ー今後の展望を教えてください。

店舗展開は続けていきますが、「地域の食を世界に広げる」という理念に沿っています。

広めるという手段として今最適なのがデリバリーというだけで、理念を達成させるためにやっているだけなんです。目指すべきビジョンを設定することで、行動と範囲が決まりますよね。

10年後はドローンで食が届くかもしれない。そのときも、プラットフォーム、インフラを最大限に活用する方法を考えて行動するだけです。なかなか未来の状況って想像できないですよね。ガラケーからスマホに変わる前に、何ができるかを想像できたかっていうとできてなくて。そのときにどうあるべきかを考えて、行動をし続けるという感じですね。

 

ー本日はありがとうございました。

Food Media(フードメディア)がお届けする飲食業界の最新ニュースや業界動向をお届けするWEBメディア

特集記事カテゴリの最新記事