特集記事【イナバ商事株式会社 株式会社ロメオ 代表取締役 倉田 雄一】偉大な父の背中を追いかけて 2代目社長が歩んだ軌道と野望

プロフィール

イナバ商事株式会社 株式会社ロメオ 代表取締役 倉田雄一(くらた ゆういち)

1947生まれ 東京都出身

3人兄弟の長男として生まれる。大学卒業後は単身大阪に出向き接客業や調理を学び、先代の社長が経営する純喫茶エデンに就職。
現在は東京都に5店舗ある喫茶店を経営している。

■運営店舗
「但馬屋珈琲店本店」「但馬屋珈琲店小田急店」「但馬屋珈琲店新宿南口店」「但馬屋珈琲店コピス吉祥寺店」「カフェテラス シルエット」

■企業HP
http://tajimaya-coffeeten.com/

父と喫茶店を経営することを夢見て奮闘した青年時代

-どのような少年時代をすごしましたか?

中学・高校と男子校の「明治大学付属中野中学校・高校」に通っていました。学生時代は、至って普通な生徒でしたよ。毎日真面目に学校に通っていました。
ですが、勉強はあまり好きな方ではなかったですね。今でこそ銀行員とかお堅い職業をしていそうだと言われますが。
特にリーダーシップをとるということもなく、本当に普通の学生でした。

大学に入ってからは、旅行に行ったりドライブに行ったりしてアクティブに友達と遊んでいましたね。旅行が趣味で日本はほとんど回ったかな。

両親のしつけは割と厳しかったです。「悪いことをしたら謝りなさい」とか、当たり前なことではありますけどね。

-大学を卒業してから何をされたのですか?

大学を出てからは、「一度親元を離れた方がいい」と考え、大阪に行きました。まずホテルに就職して2年ほど働き、その後吉祥寺のカフェレストランで1年半ほど働きました。

ホテルに就職した理由は「きっちりとしたサービスを見たい」と思ったからです。あと料理も勉強できますからね。このころには、将来的に父と一緒に飲食店をやりたいと考えていました。

ホテルでは主にフレンチ、コーヒーショップ、宴会などの接客業に従事していました。
結構厳しかったですよ。でも「熱い料理は左から提供する」といった配膳の基本やフレンチ料理やワインのことも学ぶことができました。接客の基礎は、このホテル時代に培ったもので今の仕事にも活きています。

キッチンも勉強しないと部下とかが出来た時に指導ができないと思い25歳くらいにカフェレストラン「モンブラン」に転職し、実際に調理場に入って修行を積みました。このころはカフェレストランが少なくランチ時はかなり忙しかったんですよ。

実際に見るのとやるのでは全く違い、フライパンを振ることすらできなかったので大変でした。でも、飲食店を経営したいのに「自分は料理ができません。」ではスタッフを指導することができないので、ここで料理のイロハをしっかりと学びました。

時代の流れを掴み拡大する事業

-イナバ商事株式会社と株式会社ロメオの2つの会社を経営しているのですか?

はい。この2つの会社で合計5店舗の喫茶店を経営しています。イナバ商事株式会社では但馬屋珈琲店を3店舗と姉妹店のシルエット、株式会社ロメオでは但馬屋珈琲店を1店舗もっています。
東京都で3店舗以上の飲食店を経営しているのは、実は1400社ほどしかありません。ちなみに、私は創業者ではなく二代目になります。

-イナバ商事株式会社の始まりを教えてください。

イナバ商事株式会社の創業者は、私の父です。私は3人兄弟の長男だったので、私に対して父は特に厳しく、いろいろと反発した時期もありました。

でも、父は先見の明がありましたね。
戦後すぐは、新宿の西口が闇市のような場所だったんです。兵庫県出身の父は、鞄と靴を持って上京し、洋品店の露天販売をしたら結構売れたそうで。このころは、物が不足していましたからね。最終的に「洋品のイナバ」は5店舗まで拡大したんです。これがイナバ商事株式会社の始まりです。
その後、競合する大型店ができたり、繊維不況が起きるといわれていたりしたこともあって飲食店を始めることになりました。
それでできたのが昭和39年4月にオープンした「純喫茶エデン」という店です。私が高校生の時で、この頃はそこまで飲食業に興味がなかったのでほとんど手伝いをしていません。当時は友達と遊ぶ方が楽しかったんです。

父はそろばんや経営者としての腕はピカイチでしたが、珈琲に関しては最後まで素人でした。雇った番頭さんがとても珈琲に詳しかったので、珈琲屋としてうまくいったんですよ。

-その後どのように店舗が増えたのですか?

昭和41年、私が大学1年生の時に、地下街にスタンドコーヒーショップ「ニューエデン」をオープンし、かなりのお客様に来店して頂いたので、その時はアルバイトをしました。当時は地下街もスタンド形式の珈琲店もなく時代にマッチしてかなり流行ったんですよ。ニューエデンは途中で大改装をして、シルエットという店名に変わりました。この時代のおかげで、新しいお店を出す土台ができたのだと思います。

その後、昭和43年には小田急百貨店の10階にスパゲッティ屋もオープンしました。スパゲッティといえばナポリタンしかない時代だったので、最初はボンゴレスパゲッティなどに馴染みがないお客様がほとんどです。ですが、メニューの再考を繰り返し、徐々に多くのお客様に足を運んでもらえるようになったそうです。たった5坪の小さなお店でしたが、500万円もの売り上げがあった月もありました。

昭和44年には、安田生命の第二ビルの地下1階に「エデン茶房」をオープンさせます。もともとは2か所に出店してほしいという依頼だったのですが、1店舗だけお受けしました。ですが、その後もどうしてももう一店舗出してほしいということで、「エデンパーラー」も新規オープンすることになりました。

昭和51年にはイタリアンレストランのロメオをオープンします。私はここで初めて店長を経験することになります。

-多くのお店にエデンという店名がついているのですね

父が最初にお店をオープンするときに、福岡県出身の超有名霊感占い師の藤田小女姫(ふじたこととめ)に、どのような店名をつけたらいいかと相談に行きました。その時にカタカナ3文字で最後に“ン”が付く店名がいいといわれたそうです。そういわれて街を歩いている時に、フッと目に入った看板に“エデン“と書いてあって「これだ!」と思いそのまま店名にしました。

初めて店長をした店で責任者の苦労を知る

-倉田社長は大阪から帰ってきてどこで働かれたのですか?

大阪での修行を終えて、前述の吉祥寺のカフェレストランで働きました。その後自社に戻り最初は帳面をつけるなど、お店のいろいろな手伝いをしました。純喫茶エデンは4階まで客席があったのですが、忙しい時には全席埋まり、お客様をお断りすることもあるほど繁盛していて、人手が足りなかったんです。

その後、イタリアンレストランロメオで初めて店長を経験します。自分よりも年上のスタッフが多かったので、指導の仕方などはなかなか難しかったです。この時に協調性やスタッフとの関係作りの方法を学びました。
特に職人さんはこだわりが強い方が多いんですよ。こちらが我慢することもありましたが、時には強く指導をすることも必要でした。当時はコックさんの立場が強かったので、どちらが経営者か分からないような力関係だったんです。気に入らないことがあるとコックさん全員揃って辞めてしまうこともあります。これを「箱で上がる」と呼ぶのですが、箱で上がられると別のコックさんを雇わないといけないので、お店の味がガラッと変わります。前のコックさんが作る味が好きで通ってくださっていた常連様もいるわけだから困りました。こういうことが何度も続いて大変でしたね。コックさん不足のため、自分で調理したこともありますが、やっぱり経験豊富なコックさんの味には到底かないません。こういう挫折も経験しましたが、父も「まぁしょうがないことだ」と怒ることはなかったです。

高級感をウリにすることで差別化をはかる

-ニューエデンをシルエットという名前に変更したのは倉田社長ですか?

はい、そうです。ニューエデンを出店している地下街が改装されるときに、ニューエデンも全面的に改装をしました。先代の社長は、ニューエデンという店名を使い続けるつもりでしたが、私は「エデンなんて店名はダサい!」と猛反対したんです。そして、新店舗はお店の一部がガラス張りで、通路から本などを読んで寛ぐお客様の姿が見えるので「シルエット」という店名を父に提案しました。それを聞いた父は、もうカンカンに怒って大反対ですよ。でも、婦人服を扱っていた新宿の友人に「息子がシルエットという店名を提案してきて困っている」という相談をしたら「すごくいい名前じゃない!」と言われて、父も納得したそうです。

-他の喫茶店と差別化を図るためにしていることはありますか?

どんどん喫茶店が増えているので、競合する喫茶店と差別化をすることは重要です。どうするかと考えたときに、高級感をウリにすることにしました。
例えば、但馬屋珈琲店ではお客様が来店してから珈琲豆を挽きます。また、お客様の服装などを見て、イメージに合う珈琲カップで提供しています。実は、但馬屋珈琲店で使っている珈琲カップは、普通の喫茶店に比べて高級なものなんです。数万円するレアなものもありますよ。
この取り組みを始めた当時は、珈琲1杯400円までが相場でしたが、但馬屋珈琲店では1杯500円で提供していましたから、正直かなり高い値段設定です。

倉田社長のセンスがキラリと光る

-但馬屋珈琲店という店名はどなたが考えたのですか?

私が考えました。店名の由来は、父の出身地が兵庫県但馬地方だったからです。この店名を父に告げたとき「これはいい名前だ!」と一発で気に入ってくれました。

今でも使われている但馬屋珈琲店という書体は、妻の父の友人である中国の書家に書いてもらったものです。中国の方は、横に文字を書く習慣が無いので、縦に書いてもらったものを私が横向きに編集しました。すごくいい字でとても気に入っていて、お客様からの評判もすごくいいんですよ。

-ロゴの犬のキャラクターも社長のセンスですか?

これは、友人の童話イラストレーターに書いてもらったものです。忠実なイメージがあるので、犬のキャラクターで依頼しました。もともと若い犬と年をとった犬の2つの案があったんですが、年をとった方がキャリアがある感じが出るから、老犬の方を採用しました。スタッフも年配の人が増えてくるから、しっくりきました。よく見ると小さな眼鏡をかけているんですよ。

社長の息子が新しい風を吹き込む

-お客様の満足度を上げるためにしていることはありますか?

お店のメニューは毎月変える、季節限定のメニューを出すなど、お客様がお店の味に飽きないように商品開発を積極的にしています。
バレンタインには、珈琲味のチョコレートを販売しているんですが、これが結構な人気です。希少なカカオを使っているので、高級チョコレート店くらいのお値段がするんですが…。

また、不定期ですが吉祥寺店を貸し切って珈琲教室を開催し、美味しくいれるコツや豆の性質などをレクチャーしています。但馬屋珈琲店のファンを増やす工夫のひとつですね。

その他、割引券の配布もおこなっています。次回、100円の割引券として使用できるので結構大きいですよ。

商品開発や珈琲教室は、息子を中心に行っています。

-息子さんも一緒に働かれているんですね。

今年36歳になる息子も、外部で修行を積んだんですよ。営業職も経験して、その時のパイプが今の仕事にも活かされています。300近いスーパーさんと取引があり、今でもプレゼンにいったりしています。

少し前には、某大手コンビニで但馬屋珈琲店の味を再現した珈琲を販売したこともあります。100%お店で出す味にすることは難しいですが、とても好評で、1か月で48万本も売り上げました。但馬屋珈琲店以外に、珈琲の名店があと4店販売していたのですが、5店の中で但馬屋珈琲店が一番売れたそうです。

また、息子は定期的に世の中に名を残す経営者の名言や仕事の役に立ちそうなニュースなどをまとめた読み物を各店に配布しています。まとめて配ると、みんな読まないから、少しずつね。「珈琲は筋トレ前に飲むといい」「健康に良い」とか雑学も載っています。一昔前は、珈琲は体に悪いなんていわれていた時期もあったけど、今は真逆の情報になっているから面白いですね。

息子が入社してからいろいろな取り組みをするようになりました。

社長のモットーは従業員とのコミュニケーションを大切にすること

-従業員満足のために何か実施していることはありますか?

イナバ商事株式会社と株式会社ロメオ合わせて約70名の従業員がいます。
従業員の満足度を上げるために2月と8月の年2回、全従業員を対象にした慰労懇親会を開催しています。みんな「居心地がいい」「楽しい」と言ってくれてあっという間に3時間は経ってしまいます。
また、全店長を集めて7月と12月に慰労会を行っています。息子は、若いスタッフを誘ってよく飲み会をしているようです。主に飲みニケーションですね。

また、勤務年数が長いアルバイトや従業員を対象に、誕生日には百貨店などで使用できる商品券をプレゼントしています。金額は多くありませんが、ちょっとでも祝って貰えると誰でも嬉しいじゃないですか。

-社長独自で従業員のためにされていることはありますか?

私は、ほとんど毎日店舗を回り顔を出しています。その時には、「昨日は忙しくて大変だったね」「頑張ってね」など声かけや励ましの言葉をかけてしっかりとコミュニケーションをとるようにしています。
また、差し入れをするなど従業員を労うようにしています。

あと、事務所に書物を充実させて、読書の習慣をつけるように伝えています。読んだ後は、感想を聞くことも忘れません。スタッフ達はなかなか読書をする時間が取れないのが実情ですが、自分のためになるのでぜひたくさんの本を読んでほしいと思っています。

技術の底上げとさらなる店舗拡大を目指して

-社長が考える課題を教えてください。

但馬屋珈琲店が抱える一番の課題は「スタッフの教育」です。焙煎に関してはその技術を残す・後世に伝えるということに力を入れてはいますが、機械では無く人間が手作業で行っていることなので、全く同じ水準で作るのは正直難しいです。

但馬屋珈琲店一の焙煎士は、本店に勤務する大久保店長です。彼は但馬屋珈琲店に勤めて数十年になるベテランで、たとえ地震が来ても動揺しないほどいつでも冷静に珈琲をいれられます。彼の下で今、焙煎士が3名スキルアップのために修行中です。時々他の店舗に行って、技術を磨いたりもしています。
その他、各店舗の責任者が教育係として後継者を育てて、但馬屋珈琲店の味を後世に残す努力をしています。

-スタッフの技術を上げるためにどのような対策をしていますか?

スタッフは、年に4~5回ある食品業界のフェアに積極的に参加してもらうようにしています。ただ行って終わりではなく、「どうだった?」「参考になることはあった?」などと聞くことで、他のスタッフとも共有して活用させることが大切です。食品業界のフェアに行くと、スキルアップのヒントを見つけられることもあるので大切なことだと考えています。

-今後の目標を教えてください

私が、社長就任中にあと3店舗新規出店をするのが目標です。特に路面店を出したいと思っています。希望の場所としては、まだ進出できていない新宿駅東口です。場所さえあればすぐに出店したいと考えていて、不動産屋さんや銀行、友人などに声かけをしている段階です。一店舗新しく開業するためには初期費用だけで1億円ほどかかりますから、簡単なことではありません。特に、新宿駅の東口は、家賃も高いですからね。

新規出店はスタッフのためでもあります。今働いているスタッフの中には、「新しい店で働きたい」「新店舗の店長や責任者をしたい」と考えている人もいます。単純に新しい店舗で働くのは気持ちがいいものですよね。

その他、外販事業に対しての新規開発にも力を入れていきたいと思います。例えば老舗の和菓子店や大型店とのコラボ商品を開発することも視野に入れています。

-本日はありがとうございました。

Food Media(フードメディア)がお届けする飲食業界の最新ニュースや業界動向をお届けするWEBメディア

特集記事カテゴリの最新記事