特集記事【株式会社サッポロライオン 三宅 祐一郎】僕を超える刺激的な人物を。「銀座ライオン」の叩き上げ社長が考える、理想の人材と店づくり

株式会社サッポロライオン 三宅 祐一郎

プロフィール

株式会社サッポロライオン 代表取締役社長 三宅 祐一郎(みやけ ゆういちろう)

1964年4月27日生まれ 愛知県出身

高校時代から続いた系列店舗でのアルバイト経験を経て、大学卒業後、同社に就職。
様々な店舗経験をいかし、新規事業を数多く担当。総合レストランチェーン事業拡大に貢献。2018年、現職に就任。

■企業HP

https://www.ginzalion.jp/

飲食店のルーツは実家にあり

居酒屋を営んでいた両親

ー飲食業は、もともとご自身のやりたいことでもあったのでしょうか。
いえ、飲食業を小さい頃から夢見ていたわけではなく、当時は自分が飲食の仕事をやっているなんて思ってもなかったと思います。

ただ、飲食業と全く縁のなかった少年時代だったかと言われると、そんなことはありません。亡くなった私の両親はかつて名古屋で居酒屋を営んでいて、小さい頃に僕も飲食で働く側の人たちの姿はそこで見ていた記憶があります。

小さい頃の話なので、僕が両親の店で特段働いた記憶があるわけではないのですが、「飲食ってこういう仕事なんだな」と思った覚えはありますね。

あと、僕は少年時代に柔道をずっとやっていたのですが、それは父親の影響もありました。

父は教育機関や警察学校なんかでも柔道を教えるという、その道ではそれなりに名の通った柔道家だったこともあり、父に習っていたのですが、「あれが三宅先生の息子さんか」なんて言われたりもして、少し居心地の悪い覚えをしていた記憶もあります。

俳優の夢に挫折し、飲食の道へ

少年時代から続けてきた柔道はもうちょっと続けたいなと思って、高校も柔道部があるところへ行こうと学校を選んでいたんですが、入学すると、そこに柔道部の姿はなかったんです。僕が入った頃には廃部になってしまっていて、仕方なくサッカー部へと入りましたが、それも長続きせず、高二の頃に劇団に入ったんです。
そこで芝居の面白さに気づいて、もっとしっかりと芝居について学んで、俳優になろうと志したんですが、そのためにはお金が必要だと思い、アルバイトを始めたんです。そこで初めてバイトをしたのが、地元にあった当社のお店、「名古屋ビール園 浩養園」でした。

何気なしに入ったアルバイトでしたが、結果的には高校から大学卒業、さらには就職先として、そのまま僕の半生を過ごす職場となっていくとは当時思いもしませんでした。

お金を稼いで芝居の指導やオーディションを受けたのは良いものの、なかなか上手くいかず、結局挫折してしまうことになります。そこで大学へ行こうと思い、高校卒業後は自宅から近い大学を選んだのはいいものの、バイト代は服にディスコ、そして学費と家賃に消えていき、お金は全くたまりませんでしたね。

景気の良い時代だったので、友達はみんな車を買って、彼女とドライブに出かけたりしていたものですが、僕は免許を取るのがやっとで、あとは遊びにつぎ込んでいました。若い頃はとにかく遊ぶのが好きで、きらびやかな世界に憧れながら過ごしていた時代の思い出は強く僕の中に残っています。

結局、進路のことなど何も考えないまま卒業を間近に控え、なんとなく就職活動に取り組んでいた頃、「うちに就職しないか」と声をかけていただきました。

僕もそこまで深くは考えず、二つ返事で快諾し、そのまま入社試験を経て、めでたくこの会社でお勤めすることになった、というのが始まりです。

新規事業立ち上げに邁進。そして代表取締役へ

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総合職だが、地方勤務は2年間のみ

ー大学卒業後の勤務先はやはり名古屋だったのでしょうか。
いえ、入社後はすぐに上京し、銀座にあった店舗で働くことになりました。僕はもともと総合職枠で採用され、全国転勤どこでも行きます、と会社へ伝えていたのですが、実は入社して30年以上経った今でも、2013年から14年にかけての2年間の名古屋勤務しか経験していないんです。

もちろん、地方での店舗拡大や新規事業の開拓が必要な場合は、現場に駆けつけてあらゆる業務を担ったりはしていました。入社して5年間、銀座のビヤホール業態で働いたのち、和食、中華と他の業態の現場も経験しました。

新規事業の立ち上げに関わってからは中華料理にダイニング、個室居酒屋、パブなどなど、本当に色々な形態の飲食業のマネジメントに携わりました。

内装からグラスの種類、メニューなど、研究を重ねながらこう言うのがいいんじゃないか、ああ言うのはどうかと、全国を飛び回りながら働くのは大変でしたが、僕自身も非常に楽しむことができたのは嬉しかったですね。

社長流、新規事業の育て方

ー三宅社長が当時担当された「プライベートダイニング 点(ともる)」で、店づくりの際に意識していたことはありますか。
今でも意識することではありますが、とにかく若い人、男性も女性も楽しめるお店がもっとあればいいなと思って取り組んでいましたね。

銀座ライオンは歴史のあるブランドですし、会社で手がけているビヤホールや和食のお店もそうですが、こういったお店にはどうしても中高年の人が集まりやすく、しゃれたものを求める若者にはいまいち受けが悪いと言う風潮が当時にはあったんです。

さっきもお話ししたように、僕はもともと学生時代は結構な遊び人で、夜な夜なディスコへ通っていたような生活を送っていたものですから、そう言うきらびやかな文化を当社にも持ち込みたいなと思っていました。

学生時代、ディスコに若い人が集まるのは当たり前ですが、飲食に携わっている人間として、僕は飲食の世界で、若い人やおしゃれな人が集まる世界を実現したかったんです。

当時はマハラジャなんていう、豪華絢爛なディスコが流行ったりもしましたが、僕が手がけたお店の一つに、マハラジャから大きくインスパイアを受けたものがありました。

普段のビヤホールにはないゴージャスさを演出する方法として、例えば外からは中の様子が見えなかったり、入口でコートを預かるサービスなんかもしました。

そこから長い廊下を歩いてもらって、店内に着くと非日常的な空間が広がっているといった空間づくりはまさにマハラジャのそれで、おしゃれな人が何度でも来たくなるようなブランド戦略を展開していったんです。

ですが、理想だけでは順調にことを進めることも難しいものです。コートを預かるシステムですが、ディスコのように数十人のお客様のコートを預かるだけなら対応できるのですが、百人を超えるお客様が出入りする店舗となると、同じオペレーションでは対応ができなくなっていってしまうんです。

コートを番号札で預かっていても、お客様に渡し違えてしまったりする可能性もありますし、100着ものコートを一度にラックへかけてしまうことで、重みに耐えきれずに壊れてしまうこともありました。

そこでこれはまずいぞということで、店内の椅子にコートをかけられる仕組みを作ったり、個室にクロークを設置するなど、少しづつオペレーションにもアレンジを加えて行きました。最初からあったコンセプトを尊重しつつも、どこまで工夫を加えられるかというバランス感覚を大切に、現場で修正を加えて行きました。

ー大変そうですが、とても楽しんで仕事に取り組まれている様子が伝わります。
僕にとっては、もはや仕事と趣味の間に大きな垣根は存在していません。自分が楽しいと思っていることをどう仕事に落とし込んでいくかというところが肝心で、時には自分の趣味を共有するくらいの姿勢がお店のユニークさに繋がったりもするものです。

ビヤホールでかかるBGMといえばビヤポルカがテッパンですが、僕が担当したお店でサラ・ブライトマンをかけていたところもありました。
これは完全に僕の趣味で、この店に流してたら面白いんじゃないかということで勝手にかけていたんですが、お客様からは好評で、「これは誰の曲ですか」なんて会話も生まれたりしていたのを覚えています。楽しいことをこちらから提案していく姿勢は大切にしていきたいですね。

本社の役割

ー三宅社長は当時、いわゆる新規事業部に配属されていたのでしょうか。
実を言うと、僕が新規事業を立ち上げていた当時は本社に新規事業を扱う部署がなく、基本的には現場の事業部メンバーで立ち上げて進めていくことが常態化していました。

やがて新規事業が全国各地で立ち上がるようになり、新規事業の売り上げが当社の売り上げの中で大きなウエイトを占めるようになりました。そこで本社でブランド管理するようにした方が良いと言うことで、ブランド戦略部が発足し、僕もそこへ配属される運びとなったわけです。

ー本社で管理するようになってから、大きな変化を感じたことはありますか。
会社が主導することで変化したと言うよりは、社会の目が厳しくなっていったことで、内部統制も自然と進んでいったところはあると思います。

数年前に飲食店の産地偽装問題が表面化して、一時は社会問題になったことも記憶に新しいですが、当社にとっても人ごとではない問題でした。

わざと産地や表記を偽るなど言語道断ですが、似た食材の名前の違いを確認せず、一緒くたにしてお客様に提供してしまうということは、店舗任せにしていると容易に起こりうる問題だったんです。

そこで本社に品質保証室を設け、そこで厳重なチェックが行われるようコントロールを進めていった結果、店舗ごとの均質化は向上した一方、新しい課題も見られるようになっていきました。

叩き上げ社長だからわかる、飲食今昔物語

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約束事の多い社会で、いかに自発性を磨くのか

いくら新しいことをするといっても、世間の声が大きくなりやすくなった今では、会社としては危ない橋を渡ることはできません。
当社では歴史あるビヤホールのように、いわゆるクラシックなビールの楽しみ方を大切にしていきたい一方、僕がかつて手がけてきたような、当社にしかできない、当社らしい新しいビールの楽しみ方も開拓していきたいと思っています。

新しい楽しみ方とクラシックな楽しみ方。この二本柱を大切にすることで、相互補完的な関係性が築けるとも思っているのですが、色々と気にしなければならない現代では、僕が担当していた頃ほど自由度のある運営を行うことも難しくなってきています。

外食産業が厳しいと言われる中、あり難いことに当社に入社してくれる若い人は高い志を持っています。彼らのポテンシャルを効果的に伸ばしていくために導入している施策の一つが、新橋のトレーニングセンター店です。

ここではビールが普通の店舗よりも安く飲める代わりに、全スタッフが新入社員であり、実務経験を養ってもらえるよう営んでいます。

自分で考えたメニューを提供したり、接客のノウハウを磨くことができるなど、若手が生き生きと働ける環境を作ることで、基礎を学びながら自分なりのノウハウを磨き、マルチに活躍できる人物に育つことができるよう開かれています。

また、社員の待遇に関していえば昇給や賞与のほか、四半期ごと、一年ごとの店舗表彰も行い、達成感を享受してもらえるようにしています。表彰は個人ではなくチームで行うようアワードを設けているので、チームワークの勝利を重視していることも特徴です。

縮小する日本市場との向き合い方

ー会社として、新しい取り組みは何か実施されていますか。
デジタルデバイスの導入は、最近盛んに行うようになっています。例えばデジタルスタンプカードのような役割を果たす「ヱビスバー」のアプリは、店舗でビールを飲むたびにポイントが加算され、どこのお店でどのビールを頼まれたかがデータでわかるようになります。

これによってお客様ごとの最適なサービスの提供へとつなげていくことができる、大きな可能性を秘めています。
あとは、タブレットで注文できるシステムの導入も、段階的にですが進めています。段階的に導入している理由はいくつかあって、一つはタブレットは若者受けは良いものの、タブレット慣れしていない人には使いづらいシステムのためです。

もう一つは、タブレットでしか注文対応ができないことで、お客様とのコミュニケーションが薄れてしまうことにあります。海外のレストランではチップ制度もあるため、付加価値を大きくするべく「お料理の味はいかがですか」など、盛んにコミュニケーションをとるよう慣習化しているものです。

一方の日本ではその習慣もないばかりか、タブレット対応によってお客様とスタッフの接点が失われ、せっかくの上質な空間の価値が損なわれてしまうことにもつながりかねません。

テクノロジーは便利ですが、当社が重要視している付加価値を損なわないよう、その辺りの加減は適宜調節していきたいと考えています。

あとは海外市場への参入ですね。こちらもリスクやハードルはあるものの、縮小していく日本市場に飲み込まれないよう、これからも進めていきたいと考えています。

ーテクノロジーの進歩や市場規模に左右されない人材を見つけ、磨いていくための方法はありますか。

僕が大切にしているのは、やはり自発性を持ち、常にアンテナを張り続けていることです。新しいアイデアというのは、自ら新しいものを知り、「自分でもやってみたい」と考えるところから始まるものです。そのための感性を研ぎ澄ませていくことは、新しい人財にも不可欠でしょう。

僕も社内会議には積極的に顔を出していますが、まだまだ僕を驚かせるアイデアや提案に出くわす機会は少ないものです。僕が叩き上げの社長ということで、社員が皆僕の話に耳を傾けてくれるのはとてもありがたい話なのですが、さらに尖ったマインドやアイデアの持ち主を、常に僕は欲し続けています。

ー本日はありがとうございました。

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